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【story9】八百屋の長い1日


横田青果店 横田清重さん 72歳

千住暮らし【ストーリー1】写真1



「わあ、美味しそう」。

乳白色の姿形がきれいなレンコンを見た女性客が思わず口にすると、野菜を並べる手は止めず、「今、はすが美味しいのよ。はすのキンピラとか天ぷらとかね」と横田清重さんがふんわりと受ける。「大きい梨ね」と言う客がいると「今は『にっこり』が一番美味しいの。食べるとにっこりしてしまうくらい美味しいから『にっこり』って名前になったんだって。今年は幸水は良くなかったの。透き通って。7月8月の熱波にやられちゃって」。野菜や果物の産地情報にとても詳しくて、それぞれの野菜や果物の産地の天気と生育状況について、野菜を並べる手を止めず横田さんはずっとしゃべり続けている。

文字にすると大した内容でもないのだが、横田さんの口から出てくる言葉には野菜・果物愛があふれていて、横田さんに美味しいと言われると、そこにあるレンコンが、梨が、ワンランクアップする気がするから不思議だ。そして横田さんに美味しいと言われたものは間違いなく美味しい。


午前中の横田青果店は活気がある。主人の清重さん、奥さまのよし子さん、20年来のパートの朱美さんを中心に、その日に手伝いに来ている数人のパートさんたちが野菜の間を立ち回り、長ネギの頭を切り落としたり、トマトをパック詰めしたりしながら、店頭に並べていく。「手前は低く、奥に行くほど高く並べてるの。そうすると外から見ても奥まで野菜が見えるでしょ?」。

お店の人たちが忙しそうに動き回る中、朝から訪れたお客さまたちが、その間を縫うようにお買い物。忙しい中でも、世間話を交わし笑いに興じる女性客を指し「このひと僕の愛人なの。こっちが本妻」とよし子さんに笑顔を向ける。ちなみに、ときどきお店に伺う中で、少なくとも3人は「愛人」と紹介された。久々に訪れた男性客を見つけた横田さん、「ハローダーリン~」。女性客から「地震大丈夫だったの? この家古いから」と声をかけられると、「ぐっすり寝てて、朝までぜんぜん気がつかなかったの」。前々日の夜10時台の地震はかなり大きくて東京中の人が慌てたはずだが…。活気の中に笑顔があふれる店内だ。「店内」と書いたが、内と外を区切る扉はなく、春夏秋冬オープンな、ザ・八百屋は、大正9年(1920年)に乾物屋として創業し、大正13年(1924年)に八百屋となってからほとんど姿を変えていないという。「前は、お金はカゴがあって前かけにも入れてたけど、今はそれがレジになっただけ。あとは何も変わらない」。


馬鹿正直は損か得か


ブロッコリー、昨日のです! 130円

段ボールにマジックで大きく書かれたこんな値札を、横田青果店ではときどき見かける。「馬鹿正直なのよ」とお客さん。


長ネギは、横田青果店では、きれいに見えるように頭の方の不揃いな部分をカットして揃えて店に並べるが、時間が経つと「葉っぱ、赤くなっちゃうじゃない?」。そうすると、色が変わった部分をカットし 「葉なしネギ」と書いて値段を下げて並べる。


「馬鹿正直」は横田青果店で働く人たちの素のキャラクターでもあると思うけれど、代々伝わる商売の指針でもある。嘘はダメだと父親からも言われてきた。「1回だまして売ってそのときは良くても、後でわかったら次はその店にはいかないでしょ?」。店の奥の間に飾られている、いつの時代のものか分からないほど古びた「新商人訓」と書かれた額には10個ほどの商人の心構えが記されているが、1つめの教訓が「10両の客より一文の客を大切にせよ」。「つまり、毎日来てくれるお客様を大事に、ってことなの」。


昔、横田青果店の向かいには下駄屋さんがあったという。「下駄って一回買うと半年や一年もっちゃうじゃない? でも八百屋はたとえば買い出し失敗して多く買っちゃっても、目つぶって安く売っちゃえば、損もその日でおさまっちゃうじゃない? そしてまたあくる日、買い出しにいけるじゃない。だから、その日のうちに終わらせちゃえって、下駄屋の話しながらおじいちゃん(横田さんの父)が教えてくれたの」。


横田青果店の忙しい1日


足立区で震度5と言われた10月7日夜の地震に、横田さんがまったく気づかなかったのは、たいていのことに動じない横田さんのキャラクターもあるだろうが、横田さんにとって夜10時台が熟睡タイムであることも大きいだろう。


横田さんの朝は、2時半~3時ごろはじまる。

寝ている間に入ったFAXの注文を見るのが、横田さんの朝一番の仕事だ。FAXの注文を集計してノートに書き込んだら、仕入れに市場へ。横田さんが子どもの頃は千住河原町(千住橋戸町)に市場があって父親の買い出しにもついていったそうだが、青果の卸売市場は昭和54年に足立区入谷に移転し北足立市場となったので、今はそちらへ出向く。4時から4時半ごろ家を出て北足立市場で買い付け、「トラック」に積んで7時ごろ店に戻ってくる。「野菜は見ればわかるじゃない? だから仕入れは人まかせには絶対しないの。産地は南から北へ日本列島を上ってくるじゃない?それを見極めながら、お客さんにいつも美味しいものを買ってくるの」。開店の準備を進めながら、横田さんは、8時ごろから配達に。


実は横田青果店は、店頭での販売以外に、飲食店などの注文を受けての配達が20~30軒あり、全販売量の40%を占める。それが夜中にFAXで届く注文書の中身だ。横田さんが「トラック」と呼ぶ大きいバンと、もう少し小回りのきく小さいバン、狭い千住の路地を走り回れる荷台付のオートバイ。3台をくるくると自分の足のように乗り回して、店頭に立つ合間を縫って、千住内の各お店に配達に走り回る。

お店によって配達時間が違うので、FAXの注文書を見ながら店ごとの注文をとりまとめ、時間になったら車やバイクに積み込んでさくさく届ける。届けたら戻ってきてまた、よし子さんや朱美さんと一緒に、店頭に野菜を並べる。並べながらお客さまとおしゃべりする。そしてまた出かける。一度配達に同行させてもらったが、飲食店の扉を開けると、「ただいま~」「おはよう~」と大きな元気な声でまず挨拶から。「元気がいいと、野菜が新鮮に見えるでしょ」とにっこり。なんで「ただいま」なのかと聞くと、「昨日来て、今日帰ってきたからね」。


そんなふうに忙しい1日は過ぎて行く。お酒が好きな横田さん、少しずつ店じまいしながら明日の漬物の準備などを始める夕方、「6時半ごろから飲み出して7時半で飲み終わっちゃうの」。毎日飲むのは麦焼酎だという。お酒を飲み終えてからご飯を食べて、お風呂に入って、「9時ごろには寝ちゃうの。6時間は寝たいからね」。ただ今月、健康診断でひっかかったので、今は好きなお酒も少し控えめにしている。


漬物。しられざる千住の名品


横田青果店でもうひとつ忘れられないのは漬物だ。お店の余り野菜などを漬けるのかと思いきや、漬物用の野菜は別に仕入れてくるという。店頭で売る野菜同様、そのとき一番美味しい産地のものを買う。たとえばきゅうりは漬物用に1日60本。箱に並んだきゅうりは、つやつやと見惚れるきれいさ。「おいしい野菜がおいしい漬物になるの」。かぶや大根もしかり。


取材に伺った10月初旬。

夕方6時ごろ、ぬか床の一番下にキャベツを漬け込む。7時ごろに大根。次にニンジン。そしてカブ。きゅうりは、朝4時ごろ、市場に出かける前に漬ける。野菜を入れる時間も違うが「塩加減もそれぞれ違うのよ。月によっても違うの」。10時ごろから取り出し、袋詰めして、店頭の中央あたりに並べるが、見ている間に次々売れていく。夕方行くと、漬物にはほとんどありつけない。人気なのだ。私もときどきいただくが、ほかほかのごはんが、とにかく美味しく食べられる一品で、横田さんのぬか漬けが買えた日は、ごはんが炊き上がるのが待ち遠しくて仕方なく思えるほど。生で食べて美味しい旬の野菜に100年の発酵のうま味が染み込んだ、日本を感じる漬物。ほどよい酸味が、からだを癒してくれる感じがする。

横田家のぬか床は初代、おじいちゃんの代から三代、受け継がれているものだ。「三代、1回もダメにしたことないの」。近所の小堀米店から届くぬかを少しずつ足して、ときどきほんの少し、 酒粕を入れる。水が出てきたらスポンジで吸い取り、大きな木の樽の、上から下まで手でかき混 ぜる。「やっぱ、木じゃないとだめよ。木の樽は生きてるからね。プラスチックは熱がこもりきりになるでしょ。昔の人は考えがあんだね」。



また、冬場になると、白菜、山東菜、たくあんも漬ける。ボリュームがある冬場の漬物の樽は大 きい。たくあんの話を聞いていると、出す月によって塩加減も変わるという。「最初は塩は少なめに、置けば置くほど多めに」。白菜は普段の年は10月ごろ始めるが、今年は「今、白菜が高いから待ってるの。長野の白菜は、ひょうが降って高くなっちゃったの。10月中旬過ぎれば茨城も のが出てくるから待ってるの」。冬場の漬物樽は10樽ほどあり数も多いし、大きな漬物石も載せ なければならない。祭り男の横田さんは若いころから神輿を担ぎ、力持ちで、漬物石も平気で持 ち上げたが、58歳のとき足を痛め、漬物倉庫に、石を持ち上げる電動器具をつけた。「お客さんが食べたいって言ってくれるから」。


剣(つるぎ)の舞い? 踊る神輿担ぎ


私が初めて横田さんに会ったのは、横田さんが、まだ中心となって神輿を担いでいたころだ。肩の部分が大きくふくらんだ「神輿こぶ」を見せてもらって驚いた覚えがある。重い荷物を運ぶ力持ちの八百屋は、昔から祭りには欠かせない存在だったのかもしれない。千住河原町の神輿が立派で重い(千貫神輿と呼ばれる)のも千住河原町にあった市場(やっちゃば)の男たちが頑強だからと聞いたことがある。16歳のときに同じ東町商店街の肉屋の血矢さんに誘われて始めた神輿、そのうち八百屋仲間で「剣睦(つるぎむつみ)」というグループを作ると、仲間はどんどん増えていった。なぜ近所でもない八百屋仲間なのかと問うと「市場で会うから」だという。


「5月第一週の下谷から始まって、三社、鳥越、金杉・・・そして9月は千住、その後もローカル回って」。春から秋にかけて東京近郊の祭りに出向いた。横田さんの神輿担ぎは「踊ってるよう」だという。「剣(つるぎ)の舞いって言われてたの(笑)」。楽しいですかと聞くと、「担いでるときは何にも考えないの。無になるの」。そして「終われば単なる酔っ払い(笑)」。


55歳まで現役で担ぎ、58歳で足を痛めて第一線からは退き、その後は地元・東町町会で、祭りのはじまりに拍子木を打つ、祭礼委員長を3年前まで務めた。今は「総代になったの」。6年前、「両足とも人工関節になっちゃったんだ。だからもう、お神輿はできない」。良い先生に巡り会い手術は成功したというが、今も1日1万歩、歩き、人工関節とはとても思えないフットワークの軽さなのだが、神輿からは引退した。「いいのもう。一生懸命楽しんだから」。未練を全く感じさせない姿はすがすがしい。


とはいえ、地元の祭りは今も盛んだ。コロナで2年は神輿を出していないが、千住東町、千住旭町をめぐる神輿は「けっこう担ぎ手がいるの」。というのも「電大の学生が手伝ってくれるの。すごい感謝してる」。ただ、「みんないいところは担ぐけど、団地の脇とか目立たない細い道に行くといなくなっちゃうんだよねえ」。そうすると「年寄りの出番(笑)」。横田さんもそっと手伝う。「それで通りに出るとまた集まるんだよね。こんにゃろ、って(笑)」。


八百屋さんのごはんの話


全国の産地情報にアンテナをはり、美味しい野菜を、真剣な眼差しで仕入れ、きれいに並べ、相手に寄り添い配達し、店頭ではお客様に野菜の美味しい調理法を伝える横田さん。さぞかし美味しい野菜料理を毎日食べているに違いない。きっとカンタン美味しい技があるはず、横田家の野菜料理法を聞いてこようと、取材前、考えていた。


でも、横田さんに「好きな野菜はなんですか?」と水を向けると「何でも好きよ~」、お漬物はどれが好きですかと聞くと「どれも好きよ~」と、なんだかよくわからない。そこでよし子さんに聞いてみると、あんなにファンの多い、おいしい漬物を「うちでは食べたことがないの」。また、「お父さん(清重さん)は野菜はそんなに好きじゃないわね」と。えっ・・・。


では横田家はいったい何を食べているのか。よし子さんによると、週の終わりの土曜日には、お店で働いているパートさんたちも含め、みんなで晩ごはんを外に食べに行くという。横田青果店で野菜を仕入れてくれる近所のおいしい中華料理店「豊華」、または広くてゆっくりできる千住関屋町の「らんらん」が土曜日の定番。では平日は?


なんでも昔は外食することが多かったそうだ。「仕事終わってつくるの大変だから」。祭り仲間の梅の湯や、閉店してしまったが弁天湯などでお風呂に入って、はなまるうどん(閉店)や味久(閉店)でうどんを食べたり、魚でイッパイやったりして帰ることもあったが、このごろはおっくうになって出かけることは少なくなった。では何を・・・。


「加瀬政のともちゃんが、うちのよし子ちゃんが、朝早くから晩まで働いて大変だからって、つくって来てくれるの。ほぼ毎日」。


みんなが集まる最高の食卓


加瀬政というのは同じ東町商店会の老舗の酒屋だ。ともちゃんは、ここで生まれ育ち、今は結婚して隣の町内に住むが毎日のように実家に手伝いに来ている。料理が好きで、料理上手だという。「すべて手作りで、あったかいまま持ってきてくれるの。味噌汁からごはんまで。美味しいの」「昨日なんか、秋刀魚とカキフライなんだけど、大根おろしとかぼすも切って乗っかってるの」。何でも大根とかぼすは、横田青果店で買って行ったものだという。「ともちゃんちのお嬢さんが魚河岸(足立市場)行くのが好きなの。魚河岸で少しは買えないからたくさん買って、つくって持ってきてくれるの」。


「あの。ご親戚とか?」

「ううん。他人なんだよ」

?????


あまりに謎だったので、ある日の夕飯どきにおじゃまさせてもらった。


秋の夕暮れ、徐々に店じまいの始まる夜7時ごろ。半分シャッターの降りた店内では、レジを閉めるよし子さん、夕方からお手伝いに入った娘の実記さんとパートさんたちは翌日用の漬物の準備。お客さまがいなくなっても店内は忙しそうだ。


そんな中をすり抜けるように、加瀬政の「ともちゃん」は入ってきた。ともちゃんこと、智子さん。慣れた様子で店の奥の間に上がり、食卓の大皿を並べ始めた。この日のメニューは、エビチリ、大根ステーキ、大根牛肉炒め、ミョウガ甘酢漬け。「良かったら味見してってくださいね」と私とカメラマンさんに小皿で取り分けてくださった。いやいやそんなつもりではと言いながらいただくと、何と、どれもすごく美味しい! 家庭料理ならではの、丁寧にたくさんのネギを刻んで炒め合わせたエビチリはほんのりピリ辛で絶妙の味つけ。旬の大根を使った2品も、歯ごたえも残しながらも味がしっかり染み込んでいる。「台湾人の友達に昔教えてもらった料理なの」。

近所に住んできるお孫さんのサキちゃん(9歳)が座敷でテレビを見ていたが、食卓に料理が並ぶと好きなものに箸を伸ばして食べはじめる。そのうち、横田さんが座り、しじみの味噌汁を作って運んできたヨシ子さんが座り・・・それぞれが自分の仕事を片付けたタイミングで、ともちゃんの料理の周りに集まってくる。「お料理が好きなんですか?」とともちゃんに聞いてみると「そんなこともないですよ。お姉さん(よし子さん)が朝7時から荷物下ろしてるの見てると、夕方6時になるともう疲れてるのがわかるから。いい方だからね。5人分つくるのも8人分つくるのも変わらないから」。酒屋の大家族で育ち、大勢のごはんをつくるのは慣れているのだそう。


よし子さんに聞くと、ともちゃん一家と一緒にウナギの出前を取ったり、いいお肉を見つけたらたくさん買ってともちゃんに差し入れたりすることもあるという。「一緒に旅行行ったりね」。実はこの日は、お向かいの「吉田さん」からいただいたという小ぶりのいなり寿司も大皿に盛られていた。さらにあるお店からはお弁当の差し入れも届いていた。

毎日ではないのかもしれないが、その日のうちに食べきれないほどの、美味しい差し入れが、横田家に届いているのを目の当たりにし、またお孫さんをはじめとし、いろいろな人が入れ替わり立ち替わり出入りしながら支え合って商売と暮らしを営む様子に触れ、何というかちょっと人生観が変わった気がする。大変なこともいっぱいあるのだけど、そこには、人を思う気持ちとこぼれる笑顔がいっぱいの、最高の食卓があった。


※撮影時のみマスクをはずしていただいています




取材:2021年10月5日、9日、15日

写真:加藤有紀

文 :舟橋左斗子


 

文中に登場したお店など



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