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【story6】柳原に魅せられて


グラフィックデザイナー 本舘久美子さん

千住暮らし【ストーリー1】写真1



荻窪出身。今は柳原が故郷のよう


柳原は、北千住駅から東に向かって5分ほど歩いたところにある町だ。

いくつもの路地が繫がり複雑に交差する町並みには、下町らしいのどかで懐かしい雰囲気がただよっている。

「柳原は親や祖父母の代、その前から代々暮らしてきていて、小さい頃からお互いを知っている人が多いんですよ」と熱い口調で語ってくれたのは、フリーランスのグラフィックデザイナーである本舘さん。柳原に惚れこんでいる人の1人だ。

「それなのに、どの人も、新参者にもすごく温かいんです。店に行けば話しかけてくれるし、知らない小学生さえも道で会うと挨拶してくれるんですよ! そんなふうにすぐに町の仲間に入れてくれるのがうれしくて、すぐ柳原がお気に入りの町になりました」。

千住暮らし【ストーリー1】写真6

本舘さんは東京・荻窪出身。荻窪もいいところだが、地方から出て来た人が多いせいか、柳原のような昔馴染みならではの懐の広い温かさはなかったのだという。


「柳原では新旧入り混じった建物や文化、人とたくさん触れ合える。毎日のように幼馴染同士が街角で会ったり、一緒に飲んだり、銭湯に行ったりと行き来している。都心だけれど、東京らしさにとらわれることもない。そういう多様性が愛おしいし、唯一無二の町だと感じています」と本舘さん。


「最近は不定期で実家に行くけれど、柳原に帰ってくるとほっとします。柳原の方が生まれ故郷のようですね」。


そんな柳原愛にあふれる本舘さん。今では仕事場兼自宅を柳原に構えて、柳原ライフを満喫している。


仲間に入れてくれる柳原の人々


故郷のように温かい柳原は、商店街が元気な街でもある。細い通り沿いに、銭湯や金物店、飲食店、鮮魚店などたくさんの店が軒を連ねる。


普段からよく料理をする本舘さんに買い物先を尋ねると、

「まとめ買いは大型スーパーで済ませるけれど、足りないもの、そのお店でしか手に入らないものは柳原で小まめに買っています。特におすすめは田口鳥肉店。若どりや地鶏など、スーパーのお肉とはまったく違うんです」

とお気に入りのお店を教えてくれた。


まとめ買いはリーズナブルな店を選んで使い分けている。

「中でも新鮮なのはルミネ北千住の地下食料品店や三徳南千住店、品ぞろえがいいのはABS卸売りセンター足立店やおっかさん、激安本舗千住店、ダイエー千住曙町店、オーケー 橋場店、ライフポンテポルタ千住店、マミーマート足立島根店です」と本舘さん。少し離れた店にも自転車で気軽に足を運んでいる。


柳原でもなじみ深い店としてこの日最初に訪れたのは、柳原稲荷神社の近くにある「稲荷寿し 松むら」。

昭和中期に浅草のまつむらからのれん分けした店で、メニューは稲荷寿しとかんぴょう巻きの2種類だけ。中でも名物の稲荷寿しは、柔らかくほどよい甘辛さの油揚げに酢飯が包まれた、しみじみとおいしい味わいだ。


柳原の商店街・柳原商栄会の会長も務めたことがあるご主人の立花さんは、柳原の中心人物の1人。ジャイアンツのユニホームがトレードマークだ。

「おう、今日は何やってんの?」

「私の取材なんですよ」

と本舘さんが説明するうち、店内の席を勧められていつしか会話が弾んでいく。


「柳原の人は仲間に入れてくれる」

と本舘さんが言うとおり、こんな何気ない会話がふくらんでいくのは柳原ならでは。

会話だけでなく、店の壁に「この間はジュースをありがとうございました」と書かれた子どもからの手紙が貼ってあったり、コロナ終息を願うささやかな飾りがあったりと、店のたたずまいからも立花さんや店を訪れた人の思いが伝わってくる。


「柳原みたいに、歴史があってみんなが集まるところが好きなんです」と本舘さん。

かつて集まった人の息づかいまでも伝わってくるのも、柳原の面白さなのだろう。


松むらのそばにある「大和湯」も本舘さんのお気に入り。自宅から近く、薬湯や井草、しゃぼん玉などの変わり湯を毎日提供している露天風呂が人気の銭湯だ。

「自宅でもお風呂に入れるけれど、月1回くらい入りに行きます」。


食べるのも飲むのも大好きな本舘さん、夜ともなれば、柳原の仲間たちから飲みのお誘いがかかる。最近はコロナ禍のため飲み会が気軽にできないけれど、以前はよく商店街で仲間と集まっていたという。

「よく行くのは鰻屋さんのゑびす屋さんと、魚料理店の廣正さんですね」と本舘さん。

「ゑびす屋さんは国産のうなぎを使っていて、かば焼きはもちろん、塩焼きと天ぷらがおすすめ! サーバーがとてもきれいなので、生ビールもたまらないおいしさです。廣正さんも、魚屋さんがやっている居酒屋さんなので、刺身にワカサギやカサゴのから揚げなどなど、魚がとにかく新鮮でおいしいんですよ!」と熱く語ってくれた。


飲み会に集まるのは、千住の仲間たち。フリーペーパー「銭湯といえば足立」を一緒に製作しているスタッフや銭湯関係の人々、柳原まちづくり研究会のメンバー、その友人知人やイベントで知り合った人など、毎回多彩な顔ぶれだ。


ゑびす屋の店主・小倉敏政さんも、店じまい後に一緒に飲み始める仲間の1人で、柳原のために色々な活動をしてきた町おこしの中心的な存在だ。

柳原商栄会の会長を務め、柳原音楽祭の発起人となり、柳原の歴史を綴った冊子を出したり、ミニFM局を主催したりとその活動内容は幅広い。

何気ないおしゃべりをしながら、いつしか柳原の町おこしの話、今までやったイベントの話などになることも。商店街での飲み会は同時に、人と人との出会いの場、本舘さんと柳原の絆を深める場にもなっている。


木の電柱と裸電球の「木電気」


普段の関わりの中で生まれた柳原との繫がりは、グラフィックデザイナーである本舘さんの仕事にも関わっている。


柳原で暮らすうちに、昔から携わってきた自転車イベント「バイシクルライド・イン東京」のパンフレットなどのほか、柳原で例年行われてきた柳原音楽祭のチラシやパンフレットなど、柳原や足立区関係の仕事も増えてきた。


中でも本舘さんが関わり続けてきた「木電気」は、柳原以外ではあまり見かけることができない懐かしいアイテムだ。


木電気は木の電柱に取りつけられた、傘つきの裸電球だ。正式名称ではなく、その姿を見たゑびす屋のお子さんが「木電気」と呼んでいたのをきっかけに、柳原の人たちもそう呼ぶようになったのだそう。



戦後すぐであれば、こうした木電気は千住以外でも見られただろうが、今でも現役で電灯として使われているのは柳原くらいだろう。

数こそ限られているものの路地のあちこちに点々と残されていて、昭和の懐かしい雰囲気を思い起こさせる。夜はもちろん、暗くなりがちな路地を昼間から照らしている木電気もあり、明るさとともに安心感も与えてくれる存在だ。


本舘さんがそんな木電気をモチーフに、仲間たちと相談しながら生み出したのが、柳原商栄会のキャラクターで木電気の妖精、「キデンキくん」だ。


「キデンキくんは私が描きました。電球だから目にたくさん光を入れよう、って柳原のみんなと相談したから、目のキラキラの数も多めなんです」と本舘さん。

木電気のような懐かしさもある、優しげでかわいいキャラクターで、今も柳原のあちこちではその姿を見ることができる。



木電気に関わり続けてすっかり木電気好きとなった本舘さんは、自宅兼仕事場となっている家にも木電気を取り入れている。裏口の電灯をよく見れば、少し現代風のおしゃれな木電気になっているのだ。


「柳原は今ではもう、私の故郷です」

と本舘さんが言う通り、柳原と本舘さんの生活は切っても切れないものになっている。


メダカとスズメとテントウムシ


路地に沿って家々が連なる柳原だが、荒川土手に近く寺社や公園もあるからか、虫や鳥が多く住みついている。また、家のまわりに植木鉢を置きたくさんの花を育てたり、軒先においた容器でメダカなどが、飼われていることもある。

柳原だから出会えた、そんな生き物たちとのお気に入りの思い出が、本舘さんにはいくつかあるという。


「ある日うちの窓の外から、近所の人が数人集まって話し合っているのが聞こえてきたんです。民家の塀の上の巣から、ヒナが落ちて鳴いているのを子どもが見つけたそうで、みんなで『どうしよう』と思案していたんですね。ヒナは弱っていて動けないし、親鳥はいない。みんないろいろ悩んでいました」。

結局、千住新橋のそばの小鳥店・ペットショップ鳥信に連れていって聞いてみよう、と話がまとまり、みんな解散していったそう。最後までそのやり取りを耳にし、小さなヒナ1羽に子どもはもちろん大人たちも一生懸命になる町の様子に「何だかほっこりしました」と本舘さん。



その他にも、スーパーに迷い込んで出られなくなった子スズメを助けようと、買い物客と店のご主人が右往左往する様子を見かけたことも。

「私が買い物を終えてもまだ子スズメは出ていけなくて、ご主人は『仕方ない、このままここで飼うか』なんて冗談も言ってました」。


「柳原の人は温かいでしょ」と本舘さん。

住民同士で助け合うのはもちろん、小さな生き物も思いやる柳原の優しさが伝わるエピソードだ。


自転車でどこまでも!


柳原の東側には荒川が接しているため、数分歩くだけで広々とした土手の風景を楽しむことができる。

本舘さんが柳原から遠くに行く時は、荒川沿いに東京湾まで続く荒川サイクリングロードが活躍する。


「今年はお休み中ですが、昨年まではスポーツ系の専門学校で動画やウェブデザインなどを教えていて、講義のたびに西葛西まで自転車で通ってました」と自転車にまたがった本舘さんは教えてくれた。



当時は荒川サイクリングロードを通って、約15キロの距離を晴れの日はもちろん、雨でも西葛西まで通い続けたという。夏の暑い日は大変じゃないですか、と尋ねると、

「夏には『先生、汗だくですけど大丈夫ですか?』なんて生徒に言われて、『自転車で来たからね!』って答えてました」

と本舘さんは涼しい顔。バイタリティの高さが伝わってくる。



遠方への仕事だけでなく、大型スーパーや遠方での買い物、西新井のスポーツジムに行く時も、電車やバスは使わずに自転車で出かけることが多い。

「足立区は土地がフラットだから、自転車に乗りやすいです」

と本舘さんは自転車によく乗る理由を教えてくれた。


「自転車で走ると、ストレス解消にもなるんです」と本舘さん。

遠くても荷物が重くても、本舘さんにとっては自転車で走ること自体が心地よいのだ。

バイタリティにあふれ人とのコミュニケーションが好きな本舘さんにとって、時に語り合い、時にゆったりと過ごし、時に駆け巡ることのできる柳原はどこよりも居心地のいい場所なのだろう。本舘さんにとっての、千住の中の魅力的な「柳原暮らし」はまだまだ続いていく。





取材:2021年6月2日、6月6日

写真:いちのみやひろかズ

文 :大崎典子


 

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