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【story5】コーヒーで人をつなぐ


Tama Coffee Roaster 金井玉恵さん 43歳

千住暮らし【ストーリー1】写真1



コーヒーのある日常


北千住駅の西口から徒歩約15分。ほどよい活気のある大門(おおもん)商店街に、朝からコーヒーの香りが優しく漂う。


いつもより少し遅く起きた休日の朝、

幼い子どもを寝かしつける散歩の途中、

週末のルーティンとして通うヨガの帰りに、

スケートボードを抱えて公園へ行く前に、

ご近所さんへ挨拶に寄る際の手土産として、


こだわりのコーヒーや手作りの焼き菓子を買いに、街の人々がやってくる。


金井玉恵さんが営む珈琲焙煎所「Tama Coffee Roaster」は、忙しい日々の合間にちょっと一息つける、癒しの場だ。

千住暮らし【ストーリー1】写真6


「暮らしながら働く」が叶う


「ここだ!」。喫茶店をオープンするため、場所を探して3年。旦那さまと目当ての物件を見に行く途中で、千住大門商店街の一角を紹介されて、ビビッときた。ひとめぼれだった。

当時その一角は更地だったが、商店街で自分よりも上の年代の方々がイキイキと働いている姿を見て、「ここなら、ずっと暮らしながら働ける」と感じた。あとで、最寄り駅から少し距離があること、年季の入った商店街であることを知ったが、第一印象が良すぎて気持ちを変えられず。とりあえず場所を決めようという旦那さまのすすめもあり「なんとかなる!」と家を建てて引っ越すことに決め、勤めていた会社を退社した。


「たまさん」の愛称で親しまれる、金井さんは大阪生まれ。小学校低学年のときに、両親の仕事の都合で日暮里に引っ越してきた。専門学校卒業後は一般企業に就職。初めは働くことに対するモチベーションをなかなか持てなかったが、ある日仕事とプライベート、どちらも充実させている快活な女性上司と出会ってから「一生働くのも悪くないのでは」と思うようになった。


ただし、どうせやるなら、好きなことを仕事にしたい。両親がコーヒー好きで、金井さんが子どもの頃、休日はよく家族で喫茶店へモーニングを食べに行っていたことが心に浮かんだ。

お金を貯めて喫茶店をやろう。年齢的にも住みながらお店をやりたい。その思いを旦那さまに伝えたら「いいじゃん」と応援してくれることに。


縁がつながりオープンへ


「コーヒー愛」溢れるお店で、開業までの道のりを伺った。

2012年に千住へ引っ越し。場所を決めたものの「実は、何から始めたらいいのか全くわからなかった」という金井さん。具体的なプランはなかったにもかかわらず、その後さまざまな「縁」がつながり、お店のオープンへ動き出す。


「お店を始めるために、喫茶店で働きたい」と家で何気なく話したことから、旦那さまの同級生が営む浅草の「合羽橋珈琲」で働くことに。その後、世田谷の「堀口珈琲」のセミナーを受講し、八丁堀の「2F coffee」などのお店とご縁を得た。こうして「2F coffee」で働いたことがきっかけとなり、当初の夢が少しずつ方向を変え始める。


「2F coffee」の店長はコーヒーに大変詳しい人だった。働きながらいろいろ教わるうち、「コーヒーって面白い。喫茶店より、コーヒーの専門店をやりたい!」と思うように。

ただし、焙煎士になるには、生豆の目利きができなければならない。「自分にできるだろうか……」。悩んでいたが、店長や旦那さまから「やってみなよ」と背中を押された。

その後は、自家焙煎のお店で焙煎を学びながら働き、他店の味を研究し、コーヒーのセミナーにも積極的に通った。


満を持して2020年3月、自宅ガレージとして使用していた1階をお店とするため、改装工事がスタート。北千住駅近辺にある人気カフェ「cafe・わかば堂」なども手掛けた「イトウケンチク」へ依頼した。

以前、「イトウケンチク」の社長が担当した、西新井にある生ハム専門店「nibu」を見て一目惚れ。さらに、金井さんがよく訪れていた花屋「decora(デコラ)」の店長が「イトウケンチク」の社長の奥さまということもあり、紹介していただいたのがきっかけだったという。


ところが、工事を依頼した直後、緊急事態宣言が発令された。

それでも、金井さんの気持ちは変わらなかった。イートインスペースを作る予定を急遽変更し、コーヒースタンドスタイルへ。開業を諦めたり延期したりするつもりはなかった。周りの人も「こんなときだからこそ、やったほうがいい」と応援してくれたという。

こうしてさまざまなご縁がつながり、2020年6月ついに念願のお店がオープンした。


多くの人に支えられた1年


オープン当初は、大門商店街でお店を営む方々がコーヒーを買いに来てくれた。毎日のように来てくれる人もいて、「これが商店街の力……‼」と金井さんは驚いたそう。

今は商店街へお買い物に来たお客さまが、お店の方への差し入れとしてコーヒーを買って行くこともある。「タイミングが重なって、さっき別のお客さまが持っていきましたよ、って言うこともあるんです」と笑みをこぼす。


さらに、近隣でお店を経営する方も積極的に金井さんのお店を紹介してくれた。

オープンして数日後、天然酵母のパンを販売している「アトリエ粉の香」から「近所のマルシェに出ませんか」と声をかけられ、古民家を改装してできた、クリエイターのためのシェアスペース「せんつく」で定期的に開催される、せんつく市への出店が決まった。


千住寿町にある「ichika Bakery(イチカベーカリー)」のコーヒー好きのご主人と奥さまも、開店後すぐに金井さんのお店を訪れた。そして、「コーヒーのあんぱんを作りたい」とコラボの提案が。お店の看板商品「オオモンブレンド」を使用した「Tamaカフェオレあんぱん」は新聞やネットメディアで取り上げられ、多くのお客さまが「Tamaカフェオレあんぱん」を片手に訪れた。


千住は江戸時代より宿場町として栄えた街。駅周辺の商店街には、古くから続くお店も多い。大門商店街にも、創業60年以上のお店がいくつも並ぶ。

古い商店街ときくと、他の街から移ってきて新しく事業を始める人にとっては、入りにくい印象を受けるかもしれない。実際は真逆で、千住の街には「先輩たち」が積極的に新しい人を受け入れ、応援する風土があるようだ。


あっという間に過ぎる毎日


「Tama Coffee Roaster」の朝は、会社勤めの旦那さまより少し早めに始まる。

金井さんは7時に起床したら、15分ほどで身支度を済ませ、朝ごはんを食べる。8時までには1階の厨房に降りて仕込みを開始。1時間で焼き菓子を作った後、30分間焙煎機を温める。その間にアイスコーヒーの仕込みや前日焙煎した豆の選別などをする。


焙煎機が温まったら、2時間ほどかけて豆を焙煎。焙煎を終えた11時頃、足りない牛乳や果物があれば、近所のお店へ買いにいく。焙煎は集中力を使うので、オープン前にパンなどをつまんで少し休憩することも。


開店後は、ドリップバッグを作ったり、パッケージにシールを貼ったり、細かい準備をすすめる。接客の合間に、今朝焙煎した豆の選別。長居しそうなお客さまが来たら、ときどきお留守番を頼んで、郵便局で用事を済ます。そうしていると、あっという間に閉店の18時になってしまう。


片づけを終え、晩御飯を作って食べたら、インスタグラムでお店のアカウントをチェック。23時半頃に就寝。いつの間にか眠りに落ちていることも……。

こうして毎日を過ごしているうちに、1週間も瞬く間に過ぎていく。


多忙な日々を支える千住の食


忙しい毎日を乗り切るために、1日三食しっかり食べる。

朝は和食派。「朝、お米を食べないと元気がでないんです」。前日の晩に用意したお味噌汁やおかずを並べ、おにぎりを握る。具は、梅干しやたらこ、じゃこなど。あとから起きてくる旦那さまにも「握っておいたよ」と声をかけて仕込みへ。


お昼ごはんは、来客が途切れたときを伺い、商店街のお店へ買いに行く。

一番近いスーパーマーケット「大春」は、野菜や果物をお手頃価格で買えるだけでなく、おいなりさんや鉄火巻きなどサッと食べられる総菜も多い。忙しい金井さんにとって「ありがたい存在」だ。レジのお姉さんも気さくな方で、お話しするのが楽しみ。


パンが食べたいときは、向かいにある、バターロールと角食が優しい味の「マルギクベーカリー」へ。お店の方が「今日も頑張って!」と励ましてくれる。


お昼を買いに行かずに済むこともある。農場直送のたまご屋さん「Daisy(デイジー)」のスタッフさんがお弁当を持って来てくれたり、お客さまが「忙しくて食べられないでしょ」と「ichika Bakery(イチカベーカリー)」のパンを持ってきてくれたりするからだ。


夕食の食材は、毎日閉店後に買いに行く。

隣のお肉屋さん「秩父屋商店」の鶏肉は、しっとりしていて調理しやすい。お店に行くと、ご夫婦がお店のアドバイスをくれたり、話を聞いてくれたり。

大門商店街は、親しみやすい人が多い。


「この辺りで何でも揃うから、大門商店街から一歩も出ない1週間を過ごすこともあります」。大門商店街近辺の「食」は、金井さんの多忙な毎日を支えていると言えるだろう。


人気の「季節のシロップ」


千住の食は豊かだ。お店の営業に必要なものも、ほぼ千住で揃えられるという。

大人にも子どもにも大人気の「季節のシロップ」も、商店街や千住のお店で手に入れた果物を使うことが多い。夏の間、子どもたちに大人気の「シソジュース」には「ヤオシチ」や「大春」で仕入れたシソを使用し、すだちやレモンなどの柑橘系は「Daisy」のスタッフさんが仕切れ先の農家を紹介してくれる。


「季節のシロップ」は、レモンやオレンジ、ベルガモットなど、季節の果物をつけたシロップをソーダやお湯で割って楽しむ。口に含むとふわりと香る、果実の柔らかく甘い匂いがたまらない。季節のシロップのソーダ割やアイスコーヒーを買いに、夏の間だけ来るお客さまもいるという。


マフィンなどのお菓子に使う材料は、北千住駅付近まで買い出しに行くことも。希少な果物は、駅前に立つ商業施設「ルミネ」の地下にある「さわみつ青果」で、バターなどは、同じく建物内の1階にある「TOMIZ」で手に入れることができる。

お店で提供する「食」も千住の街に支えられているようだ。


まっすぐ家に帰れない


引っ越してきたばかりの頃は、仕事帰りに旦那さまと北千住駅で待ち合わせて「今日はどこ行く?」と、外で食事をしてから帰宅していたそう。「千住は誘惑が多すぎて、まっすぐ家に帰れない」。二人で、気になるお店を見つけては足を運んだ。


イタリアンレストラン「Casa Calma(カーサカルマ)」、季節の食材を使った和食や地酒を楽しめる「旬彩料理きわ」、フレンチビストロの「brasserie l'onomatopēe(ブラッスリーロノマトペ)」、ワインが豊富な「ビストロオオカミ」、おしゃれな外観の店舗で本格的なイタリアンが楽しめる「cieloazzurro(シエロアズッロ)」、洋菓子とお酒を提供する「nomiya ノミヤ洋菓子店/五席酒場ノミヤ」、北千住で複数の店舗を構える「一歩一歩」など。


ちょっと贅沢をしたいときは、こだわりの鶏肉を使用した「Bird Court(バードコート)」へ。イタリアンの「TRATTORIA BAR IL POLTRONE(トラットリア バール イル ポルトローネ)」は夫婦共にお気に入り。


「Tama Coffee Roaster」は月曜日と第1・3・5日曜日がお休み。定休日の月曜日は、スリランカカレーで有名な「TAMBOURIN CURRY&BAR(タンブリンカレーアンドバー)」や「ビリヤニ食堂」でランチを食べたり、お店が休みの日曜日にはお昼に旦那さまとラーメンを食べたりする。


翌日の営業のことを考えてお酒は控えるようになったが、それでもやっぱり飲みたい日もある。週の中日や休みの前日には、夕食づくりをお休みして晩酌を楽しむ。お酒はなんでも好き。全国からこだわりのお酒を豊富に揃える業務用酒類専門店「モトハラ」のガレージセールで購入した白ワインや「ヤオシチ」で買ったビールを嗜む。


最近はなかなか新しいお店を開拓できていないが、千住のおいしいところはお客さまが教えてくれるようになったという。人から伝わるおいしい街の魅力。「行ってみたいところがたくさんあるんです」と話す金井さんからは、宝物を探しに行くような、ワクワクが止まらない様子が伝わってきた。


お買い物とおしゃべりの休日



休日は午前中に事務仕事を終え、買い物に出かける。

まずは「ヤオシチ」へ。大門商店街にある創業80年を超えるスーパーマーケットで、商品のラインナップが豊富。マニアックなお菓子や調味料が並んでいることも。一番の好物は、ビニール袋に入った「もつ煮込み」。濃いめの味付けなので、大根を入れ、水を足して煮込むとちょうどいい。そんなアレンジもお客さまからのおすすめ。


それから、卵を買いに「Daisy」へ。店内には豊富な種類の卵が並ぶ。濃厚な味が特徴の「あかり」を中心に、弾力のある「こはる」、目玉焼きで食べるとおいしい「ひより」も購入。



買い物ついでに、スタッフさんと話をする。「次はこれが食べたい」というお願いに応えて、販売する惣菜を作ってくれることもあり、「お母さんに晩御飯のおかずをリクエストする感覚」で通っているそう。


また、休みの日は、必ずお花を買いに「decora(デコラ)」へ。プランターや花瓶にさす新しい花を買い、奥さんとおしゃべりするのが金井さんの癒し。お花の話はもちろんのこと、お世話になっているお客さまや共通の友人の話、どこのお店の何が美味しいかなど。思いつくまま、自由におしゃべりする。


お気に入りの店で、買い物をする。友達のところへ遊びにいく感覚で、何気ない会話を楽しむ。これが千住に暮らしながら働く、金井さんのリフレッシュ方法のようだ。


買い物を済ませた後は「Coffee Work Shop Shanty(コーヒーワークショップシャンティ)」へ。千住ほんちょう商店街にたたずむ、緑の壁に入口の赤い屋根がかわいい小さなお店。

暖かい日ざしが流れ込む窓辺の席で、丁寧に作られた味を満喫する。


感覚を研ぎ澄ませて



1968年創業の喫茶店で、コーヒーへの熱い思いを伺った。

もともと味覚が鋭いわけではなかったという金井さん。20代の頃はジャンクフードが大好きで、タバコも吸っていた。コーヒー修行中に通っていたセミナーでは、「いい豆」を当てる回のとき、初めのうちは一人だけ質の悪い豆を選んでしまい、講師から「また君?」と怒られていたそう。


そんなとき、参加者の方々から「続けていれば、いつか『来る』よ!」と励まされた。「怒られてもやりたい。何が『来る』のか知りたい」。目標のために、めげずにセミナーへ通い続けた。

飲食業界のセミナーにも参加した。

飲食店をやるからには「味覚の引き出し」をたくさん持っていなければならない。ある同業者の方からの「果物を食べなさい」というアドバイスのもと、いろいろな柑橘類を食べ比べた。すると、何か口にしたとき、ただ「柑橘系の味がする」ではなく、「グレープフルーツの味を感じる」というように、微妙な違いを理解して表現できるようになり、コーヒーの味についても「苦いだけがコーヒーじゃない」という感覚に変わったという。

そうしてコーヒー修行を続けること、およそ1年半。セミナーのテイスティングでも、豆の良し悪しや産地がわかるように。まさに、継続は力なりだ。


その後もさまざまなテイスティングセミナーに通い、味覚に磨きをかけていった。

ただし、お客さまの視点も忘れないようにしている。コーヒーを求め、フラッと入ったお店で「はっ」とする。そんな感覚を忘れないようにしたい――。一つの物事に対してさまざまな角度で向き合う姿勢から、コーヒーとお客さまへの愛情を感じた。


地名を名前につけた人気商品「オオモンブレンド」も、紆余曲折を経て誕生したブレンドコーヒーだ。千住のお客さまは「ちゃんと味わって飲んでくれるんです」と金井さん。「香りがいいね」「苦味だけじゃなくて甘みもあるね」と感想を伝えてくれると言う。これからもお客さまに喜んでもらうため、おいしさの追求は欠かさないつもりだ。

ところで、千住の人はどんなコーヒーを好むのか。金井さん曰く「千住の人は五感を大切にしていると思う。そのせいか、単調な味よりも特徴的な味を好む人が多いかも」。「お酒好きだからか、深煎りで濃い味が好まれるみたい」とも。


コーヒーの味の好みから、住む人の様子がわかるのは面白い。


焙煎所から見える街の姿


毎日忙しく働く金井さんにとって、千住はまだまだ未知の街。それでもお客さまとのつながりを通して少しずつ街の姿が見えてきたという。


「Tama Coffee Roaster」のカウンターの下の棚には、近隣のお店のショップカードやイベントの告知チラシなどがたくさん並んでいる。「オープンしてからいろんな方が持ってきてくれるので、自由に置いてもらっています」。ショップカード立ては、【story2】に登場した「ニコニコ湯」の鈴木秀和さんの手作りだ。


お客さまの中には「これくらいのスペースで活動したい」とお店の様子を見に来る同年代の人も多い。ひと昔前は「お店を持つなら駅近の1階でなければ」などと言われていたが、今は「ファンがいるから場所は問わない」「ゆっくり自分のペースで働きたい」と考え、物件を探す人が多い。

お話を伺っていると、千住に住む人のさまざまな暮らしや働き方が目に浮かんでくる。金井さんが生み出す本物の味と明るい人柄が、人と人とのつながりを広げているよう。


何か始めようとする人を応援する雰囲気が、千住の街にはある。好きなことを好きなペースで、という「我がまま」が通る環境と言えるかもしれない。もちろん、生半可なことでは通用しないだろうが、金井さんのように充実した暮らしをしながら楽しそうに働く人の姿を見て、勇気と元気をもらっている人は多いと思う。


誰かに背中を押された人が、別の誰かの背中を押していく。街の小さな焙煎所から千住のいいところがたくさん見えて来た。「もっとこの街を知りたい」。そう思った。




取材:2021年3月14日、3月28日、4月18日

写真:伊澤直久

文 :大原彩季加


 

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