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【story7】地域とつながる建築家


Senju Motomachi Souko 石村大輔さん 32歳

千住暮らし【ストーリー1】写真1



広い倉庫の中。大きな天井と、空間を囲む四方の壁面すべてが、通常なら壁材の内側にあるはずのシルバーの断熱材に覆われている。


巷でうわさのSenju Motomachi Souko(センジュモトマチソウコ)。石村大輔+根市拓という建築家2人ユニットの事務所がここにある。もと米の倉庫だった建物の、1階の半分と2階部分。もこもこした断熱材の上に配置された大ぶりなメッシュや金属のレールは、電気工事で使われる建築材。2人と一緒にここに拠点を置くlightingrootsfactoryが、仕事上仕入れ、使わなくなった大量の資材を「何とかならないかな~」と提供したことからこの空間のデザインが決まっていった。lightingrootsfactoryは電気の計画・施工を行う会社だが、「光」を伴うアートのインストール(設置)も多数引き受ける。


「即興」要素の多い改修


「全部、動くんですよ」。石村さんが、机をコロコロ動かして組み合わせを変えたり、壁面になっていた大きな棚を引っ張り出したり、また収めたりして見せてくれた。

事務所でありながら、月に一度オープンデーを設け、近所の、DJもできるYAESU COFFEEさんに出店してもらい、友人たちを招いて小さなイベントを行ったり勉強会を行ったり、ときには千住にキャンパスのある東京藝大の学生の制作・発表の場として提供したり、コロナ禍で中止になった花火の代わりにガラス戸の外に向けて花のインスタレーションを行ったり。思いつくことに実験的にチャレンジし、変わり続ける空間。


2年くらい前からこの場所の改修を始めた。仕事しながら少しずつ改修し、おおむね落ち着いてはきたが今も少しずつ手を入れる。詳細な設計図に基づくというより、「即興要素の多い」改修だったという。素材もだが、遊び心にあふれる照明器具に、他で見たことのないものが多いのは、lightingrootsfactory松本大輔氏の「即興」によるものが多い。

きっかけは、足立区本木に置いていた2人のアトリエ兼住居に、ふらりと訪れたその人、松本さんだった。ぼろぼろの空き家だった履き物店をリノベーションし、裸電球を吊って仕事していた20代の若者たちに、こんな事務所見たことないよと言い、「今度仕事持ってくるから」と言って帰ったのだそうだ。リップサービスだろうと思っていた2人のもとに、半年後、松本さんは本当にやって来た。「千住に倉庫借りたから、デザインしてくれない? 使い方込みで何か考えてみてくれない?」。この日から、石村&根市&松本の事務所を兼ねる、Senju Motomachi Soukoプロジェクトが始まった。調光機器メーカーの株式会社スタイルテックが、スポンサーとなってくれた。


測量士のち大学生のち建築家


石村さんは、群馬県中之条に生まれ育つが、家庭の事情で早く独り立ちすべく国家資格(測量士)のとれる高校に進学、資格取得後すぐに東京で働き始める。しかし、あるときふと自身が、家庭の事情や周りの環境を言い訳にして自分で決断していないことに疑問を持ち、稼いだお金を貯めて自分で行ける大学を探した。それが、東京理科大の2部(夜間)だった。

特に建築に興味があったわけでもなく、むしろ測量士時代につきあいのあった建築設計事務所は、深夜にメールしてもすぐに返信が来て、「建築設計士は絶対やりたくない」と思っていたというのが正直なところだ。自分には美的センスもないし、と当時考えていた。


しかし、大学ではいろいろな出会いがあった。ひとつ、わかったことは、センスは磨くものだということ。本を読み、大学で学ぶうちに、デザインは勉強すればある程度はできるようになるのだと気づき、それに気づいたときには感動した。そこからはどっぷりはまっていった。

石村さんが建築で特に大事だと思っているのは「図面を読む力」だという。

「図面を読むと昔の人と対話できるんですよ。僕は特に戦後の建築家が好きで、彼らの図面を読み込んでいくと、貧しいながらも豊かに暮らしていこうという、当時の生活状況やライフスタイルが見えてくるんです」。どんどん面白くなって、と石村さんは言う。

そして卒業設計展で賞をもらい、受賞者が集まる全国大会で、現在の相棒、根市拓氏と出会う。打ち上げで盛り上がり、カラオケに流れるみんなに違和感を感じていたら、同じようにつまらなそうな顔をしている根市さんがいたという。「ふたりでカフェに行って話していたら、好きな建築家が一緒で、血液型も、なんと誕生日まで一緒で」。気持ち悪いくらいの共通点の多さだったが、卒業後スイスの大学院への進学が決まっていた根市さんは間もなく旅立った。


大学院修了後スイス現地での仕事を探していた根市さんのところに、日本の友人から「自邸の設計を頼みたい」と連絡があったのは、日本を離れて約3年後のことだった。悩んだ末、この仕事を受けることを決めた根市さんが「手伝って欲しい」と声をかけたのは、実際には数回しか会ったことのなかった石村さんだった。「なぜ僕に声をかけたのか、今でもわかりません(笑)」。


それからは急展開だった。

設計を進めながら、「都内で10万円で2人で住めて事務所も開ける場所」を探し、前出の足立区本木の「アトリエ本木新道」にたどりつく。根市さんと不思議な縁でつながったように、石村さんは導かれるように足立区、そして千住との縁を深めていく。


建築系の職人は足立区に多い


理科大に通った大学時代、石村さんは金町と神楽坂のキャンパスに通いやすい足立区綾瀬に住み始めた。その後就職した設計事務所の仕事で現場に出向くと、出会う職人たちに足立区の人が多いことに驚いた。建具屋さん、水道屋さん、左官屋さん、家具屋さん・・・「建築系の職人は足立区に多い」。現場の経験を重ねるたびに、その驚きは確信に変わっていった。職人たちに、足立区に住んでいると言うと話が盛り上がった。

アトリエ本木新道に引っ越してからは、空き家期間が長い家だったので衛生面から風呂が使えず、近くの銭湯「竹の湯」に通った。若い建築家たちを、竹の湯の女将さんはかわいがってくれた。また、親しくしていた近所のお店からは、「家を建てたいから設計してくれる?」と頼まれた。足立区に暮らしていたことで仕事がもらえたことを、「すごいなー」と純粋に驚き、喜んだ。


口の悪い職人たちからは、「そのまち、お前らみたいに弱っちい奴らは、カツアゲされるぞー」とからかわれたが、足立区の職人たちと仕事すると「親身になって助けてくれた」。


「お前ら、この暑い夏に、エアコンない家に住んでんのか」と言われ、「はい、まじ暑くて死にそうです」と笑っていたら、ケーズデンキでエアコンを買ってきてつけてくれた。「びっくりしました」。ごはんをおごってもらったことも2度や3度じゃない。打ち合わせの後、自家製の美味しいカレーをごちそうしてもらったことも。「俺、カレーが得意なんだ」。


「すごくいい人が多いなあって思いがあって」。足立区の職人に惚れ込んだ石村さんたちは、Senju Motomachi Soukoを手がけるとき、工務店経由でなく「職人と直で」仕事したいと考えた。

設計事務所で働いてたころは「職人とはある程度、距離をとれ」と言われていた。「つくりたいものをつくろうとするとき、仲良くなりすぎると言いたいことが言えなくなるから」と言われていたが、その指示に疑念を感じていた石村さんは、当時も、職人たちとたくさん話しながら仕事したという。


地元の職人とがっつり関わりたい


一つひとつを、別々の職人に頼むのは大変ではあるが、Senju Motomachi Soukoでは、ひとつの工務店にまとめて依頼するだけの金銭的な余裕がなかったということ、lightingrootsfactoryの松本さんに職人のつながりがたくさんあったことも後押しして、チャレンジした。「施主でもある松本さん自身が、もともと電気工事の職人だったので、僕らと相性がすごく良かったんです」。それに、困ったときは職人に聞けばなんとかなると言う。「たとえば、ウッドショックで木材が高騰しているけど、単純に安い素材を探すより、職人に相談した方が解決策が見つかることが多いです」。

しかし職人はつながりを重要視するので、信頼できないとつきあってくれない。「自分たちは、職人さんにスポットライトが当たって欲しいといつも思っている。ここ(Senju Motomachi Souko)をつくったのも職人さんだし、自分たちがつくったなんておこがましくて言えない」。

建築家によっては、自分の作品をつくるための一要素のようにとらえ、職人と話をしない人も少なくないというが、石村さんたちは職人の前では裸になって、きちんと対峙してお願いするという。だから、石村さんが関わる建築が雑誌等に掲載されるときの「施工」の欄の行数はものすごく多い。設備、電気、家具、板金、鉄骨、基礎、プレカット、外壁、塗装、アルミサッシ、木製建具、フローリング・・・関わった職人がすべて記載されている。石村さんに建築系の雑誌を何冊か見せてもらったが、確かに建築家によって、「施工」欄の記述はかなり違う。


「建築系の職人が多い足立区でやるなら、職人とがっつり関わるこのスタイルが適してるんじゃないかと思います。個別に頼むのは大変ではあるけど、対話が増えるので、やりたいことがより実現できると思います」。最近、千住に新婚の奥さまと購入した自邸(中古マンション)のリノベーションも、このスタイルで進めている。


インターネットで探せない店


Senju Motomachi Soukoの施工が始まってからは、当初、シェアハウス「ショウガナイズ北千住」に暮らしていた。ショウガナイズ北千住は半年ごとに家賃が上がり、新陳代謝するユニークなシェアハウス。ワイワイした人でないと住めないのではと少々嫌悪感があったシェアハウスだが、体験せずに思い込んでいるのは良くないとチャレンジしてみたら、気の合う人もちょっと苦手なタイプの人もいて、「結局、それはどこにいても同じ」と思い至る。


ショウガナイズ北千住に暮らしたことで、オーナーの山本遼さんと千住のまちを食べ歩き飲み歩いた。山本さんは若干31歳ながら、(株)R65というシニア向けの不動産会社を経営し、都内に13軒のシェアハウスを展開する、不動産業界の逸材だ。その13軒のシェアハウスのうち4軒が千住という、千住に心寄せる人でもある。今では、石村さんが一緒に計画に関わったシェアハウスもある。

ショウガナイズ北千住暮らしのち結婚、現在も千住に住む石村さんは、「千住の魅力は、インターネットで探せない店が数多くあって、めちゃめちゃ美味しいこと」と言う。「千住にはすごい店がある。発掘しがいがあります(笑)」。

飲むのが好きな山本さんや根市さんと、また、生活していく中で「発掘」した店を何店か教えてもらったが、「絶対掲載してはダメ」というラーメン店や焼き鳥屋、フレンチなど数店を除いていくつかご紹介させていただくと、こんな感じだ。

「熊ってあるんですけど、朝3時〜5時しかやってないラーメン屋で(笑)」。店主が言うには「やる気がないから始める時間がどんどん遅くなって」3時〜5時になったという。今はコロナで、久しぶりに別の時間帯もやってるようとのこと。確かに食べログ情報で探すのは厳しそう。


コロナでこのごろ行けていないが、「ユニークなママ」がいる、とても狭いBar「home」も隠れ家のようで好きだ。

山本さんと飲み歩いた飲み横周辺では、有名店だが「五味鳥」それから「徳多和良」は「間違いない」。「らむすけ」も臭みのないラム肉を食べさせてくれ、「めちゃめちゃ美味しくて安い。よく行きます」。そば酒房の「碧夢」は、蕎麦焼酎割が絶品。「鴨なんばんも美味しい」。ちょっと入りにくさを漂わせている「森栄」は「もう価格崩壊してますね」。麻婆豆腐の中にハンバーグと揚げ餅が入ったメニューなど、話を聞いていると独創的すぎるが、これが美味しいのだという。


千住には、おしゃれで美味しい、キラキラした有名店も多くて、こちらにも行くが、「千住はそっちじゃない」って思っている。「自分は、キラキラした側じゃないんで(笑)」。


人としゃべることくらいしか特技がなく


好きな店を案内していただいた。

最初に行ったのは、千住公園に面した場所にちょうど1年前に開店したコーヒースタンド「YAESU COFFEE」。お店は新しくておしゃれだが、奥に設置された焙煎機は年季が入っていてカッコいい。八重洲で始まった「八重洲コーヒー店」の3代目としてこの焙煎機を受け継いだのだいう。浅煎りの「ゲイシャ」をアイスでいただいた。ちょうど雨上がりだった夏の日の午後の、ひんやりした空気に似た透明感ある味わいに癒された。浅煎りのコーヒーを出す店は案外少なくて、「ここで飲んでからコーヒーにハマりました」と石村さん。価格がリーズナブルなのは、「駅から距離があるから」と店主。

ご近所のお客さまが途切れず訪れる中で、私たちも、店主が豆を挽き1杯ずつハンドドリップで丁寧にいれる姿を眺めながら、心地よい香りのなか、しばしの時間を過ごした。コーヒーってこの「待つ」時間も含め、豊かなんだなあとあらためて思う。待っている時間、たわいもない会話を楽しんだが、石村さんは店主とのおしゃべりで「結論が出なくてもんもんとしてしまう」と言い、逆に店主は石村さんとの会話を「いつも刺激をくれる」と表現する。前出Senju Motomachi Soukoオープンデーに、DJとコーヒーを出前してくれているのはこの人だ。

その後、ご自宅の近くへ移動。移動途中で、地元の酒屋、竹村酒店に立ち寄った。地元千住の酒屋グループ「酒千会」でプロデュースする酒やビールが揃い、ご主人に話を聞きながら選ぶと言う。

2020年9月ごろ、結婚を機に2人で千住に引っ越してからは、それまでの活動圏だった賑やかな北千住駅西口方面から、少し落ち着きのある東口方面に生活エリアを移した。「暮らすには東口はいいなあと思います」。

コロナ禍ということもあり家で食べることが多く、「週に一度は肉を買う」という「河の家(かわのや)」 は特に気に入っている店だ。「鮮度が良く美味い肉を、そんなに高くなく店頭販売していて。希少部 位もあるし、インスタで告知される黒タンは、見つけたら絶対買う。めちゃめちゃ美味しくて、もう普通の 焼肉屋に行けなくなった(笑)」。さまざまな内臓肉が並ぶ、ちょっとわくわくするショーケースを眺めながら、この日は、馬刺しを購入。便乗して私も買わせてもらった。価格もリーズナブルで、100グラムだけ 購入したが丁寧にスライスしてくれ、ひとり分ふたり分でも遠慮なく買える親しみやすい雰囲気も良かっ た。新鮮な馬肉を買える店は多くないし、いい日本酒のある日はまた買いに来たいと思う。

商店街を歩いて、杉本青果店へ。彩り豊かな店頭は見ているだけで楽しいが、お店の方から食べ方などをいろいろ教わるのも楽しいという。この日はカットされたパイナップルを購入。杉本青果店では、カットしたり茹でたりして販売してくれているのもいいという。「トウモロコシもめちゃめちゃ美味しいですよ。タケノコの季節には、下処理して茹でられたタケノコをよく買いました」。豚肉や惣菜は、杉本青果店の向かいのトキワヤ、また、並びのスーパーTANAKAにもよく行く。「TANAKAは、スーパーなのにコストコ祭りや マグロ解体ショーなどをやってたり、面白い店です(笑)」。

料理は夫婦で交互に作っているので、買い物も、奥さまだけでなく石村さんもよく行く。「人としゃべるこ とくらいしか特技がないんで(笑)」と言う石村さんにとっては、商店街での買い物は苦ではなく、むしろ楽しそう。


まちのために自分ができること


Senju Motomachi Soukoの勉強会の話題から始まった「シェアコンポスト計画」が今、千住周辺で具体的に動き出した。地域の仲間たちと一緒に、自宅から出る生ゴミを堆肥化し、それを使って野菜も育ててその過程の中でコミュニティを形成する計画だ。事務所での勉強会がきっかけだが、このプロジェクトは「一住民としてやってます」と言う。その裏には、「環境問題やコンポストという考え方は大事だと言う人が多いが、その実際を体感したい」という思いと、もうひとつ、これまで足立区の職人さんやまちの人にたくさん助けてもらったので「まちのために自分ができることを何かしたい」という思いがある。「実際にやってみることで、自分たちの設計も、もしかしたら変わるかもしれません」。


最後に、これから千住でやってみたいことはありますか? と聞いてみた。


少し考えて石村さんは、「千住中居町にある旧NTT郵便局電話事務室(現NTT千住ビル)を価値のあるものにアップデートしてみたい」と言う。「あの建物はすごいなあって思って見てるんです」。NTT郵便局電話事務室は、昭和4年築、聖橋などの設計でも知られる建築家、山田守が手がけた貴重な歴史的建造物だ。ただ、電話事務室だったスペースは長年空室となっているようで、密かに気になっている人は少なくない。「こういう歴史的建物って、ヨーロッパと違って、日本では難しくて、壊されてしまうことが多いんです。神社とか東京駅レベルになると残るのですが、郵便局などは普通の人にはわかりにくくて、注目されない。でも、千住としても、足立区としても、ポテンシャルがすごくある建物」と熱く語る。


もうひとつ、近年各地で取り組みが始まった「リビングラボ」にもチャレンジしてみたいと言う。リビングラボは、地域課題を解決するために、住民参加で行う実験的な取り組みのことだそうだ。

これから、石村さんとSenju Motomachi Soukoのまわりで起こりそうなことに、ワクワクがとまらない。





取材:2021年8月1日、17日、22日

写真:伊澤直久

文 :舟橋左斗子


 

文中に登場したお店など



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