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【story8】おもちゃ箱みたいな


エスディコーヒー 鈴木保幸さん(46歳)

千住暮らし【ストーリー1】写真1



宝箱、おもちゃ箱、ビックリ箱。キラキラ、ワクワク、ドキドキするそれらをきれいに混ぜてカフェにしたら、こんな感じになるのかも――? 面白そう、とつい足を止めてしまう。「この店を始めた理由は、元気になる場所を作りたかったんですよ」。遊び心満載のカフェ「エスディコーヒー」は、いつも次々に訪れるお客さんで、活気が溢れている。


選ぶ基準は「面白い」の感性


古めかしい看板、50年前くらいにはどこの家庭にもあったであろう年代物の扇風機や脚付きのテレビ、ネオンサインや白熱電球型の電灯、銭湯のケロリン桶や暖簾など、眺めているだけで、うきうきと楽しい気分が湧き上がってくる。メニューもミニ木桶にホットドッグが入った「桶ドッグ」や「牛乳瓶シェイク」など、個性的でユニークなものが並ぶ。

オープンは2017年4月。大手通販で知られる米国Amazonの日本法人に勤務し、新規事業の立ち上げに12年間携わっていたが、三男が小学校に上がるタイミングで時間に余裕ができたことから、「Amazonでやっていたことと真逆のことをやりたい」と、元美容室だった店舗を借りて開業。


2年前に会社を退職し、Amazonで学んだノウハウを生かして複数の企業アドバイザー業を営む。手がけている企業の中には、ふるさと納税の「ふるさとチョイス」など、誰もが知るものも多い。


ビジネスとカフェの経営とで多忙な毎日を送る。完全な休日はほとんどないが、家でゴロゴロするといった休み方は、そもそも鈴木さんの辞書には存在しない。「休みは脳を切り替えること。全く違うカフェをやることで癒されるんです」。

懐かしさを醸し出す店のテイストは、よく「昭和レトロ」と評されるが、否定する。「昭和は良かったなぁ、と古いものを掘り起こしているわけじゃなくて、自分が経験したものの中から面白いもの、新しいものは何かなと思った時に、これだったんですよ」。


店を演出しているアイテムの数々は、昭和のものに限らない。アメリカのヴィンテージやヨーロッパのアンティークもある。カウンター近くにある3連の椅子は、スロバキアの映画館の座席だそうだ。座面が木製なのに、意外と座り心地が良いことに驚く。

「実は新しいものもいっぱいあるんですよ。ただ古いものにみなさん目が行くだけで」。インテリアの基準は「古さ」ではなく、鈴木さんの「感性」。これまで培ってきた自身の感性のフィルターにかかったものを、その時々のフィーリングで配置している。

どれもこれもお店のために揃えたわけではなく、全て自前。もともと好きで集め持っていたもの、縁あって人からいただいたものと様々だ。中にはコレクターにとって垂涎の品もあるようで、譲って欲しいと持ちかけられることもあるが、全て断っている。


「よくこれだけ揃えましたねと言われるけど、僕はコレクターではないので」。自分の波長と合ったもの、ピンと来たもの。それらが、鈴木さんの日々を彩る一部として迎え入れられ、店を通してお客さんたちに共有される。

「カフェを始めたヒントは観光地とかパワースポット。あそこのお店に行くと元気になるとか、店主と話すと気が晴れるとか、なんかいいことがあったとか。例えば、ここでお客さん同士が出会って結婚したとか、商談がうまくいったとか。そういうハッピーが転がっている店を作りたかった」。つまり、人と人を繋ぐ場所ということになるのだろう。


「楽しいというか、物自体にパワーがあることを、心掛けています。結果、楽しいメニューがあったリ、面白い内装インテリアだったり。ありきたりな言葉だけど、非日常。自分の感覚で組み合わせたものはパワーがみなぎるし、そこを感じて欲しい。それが本音ですかね」。


鈴木さんの感じる「楽しいパワー」が溢れている場だからこそ、見た人、来た人もワクワクするのだと納得がいく。


店名に込めた思い


店名の「エスディ(sd)」には2つの意味が込められている。静岡の実家で両親が営む「鈴木電機」の頭文字と、「銭湯大好き」。その名の通り、「鈴木デンキコーヒー」のグッズとともに、ケロリン桶で作られた電灯、「梅の湯」の暖簾などが、カフェという空間で不思議と輝きを放っている。


壁面にどんと構えているのは、銭湯画の富士山。2018年に、全国で3人しかいない銭湯絵師の1人、丸山清人さん(86歳)が直接壁に描いた本物だ。

その年の8月、足立区役所で開かれた「THEあだち銭湯展」でのライブペインティングで、丸山さんに直接依頼。11月3日(文化の日)に、営業中の店の壁に描いてもらった。ほぼ下書き無しに、みるみる富士山が出来上がっていく。珍しい銭湯画の制作過程が、カフェでお茶を飲みながら見られる貴重な機会は話題となった。


この富士山には、ちょっとした特徴がある。銭湯画の風景は絵師が想像で描くことがほとんどだが、鈴木さんは静岡の実家から見える富士山の姿を注文。他の銭湯画では描かれることのない、宝永山のコブが稜線にあるのがレアで面白い。

これまで数多の銭湯画を手がけてきた丸山さんも、銭湯以外の店の壁に描くのは初めてと話していたという。


足立区は銭湯が多い。千住には現在7軒があり、自宅に風呂が普及した今でも、健康やリラクゼーション、コミュニティの場として、人々の生活の中で機能している。鈴木さんにとっても、暮らしの一部であり、人との縁でもある。「ニコニコ湯」オーナーの鈴木秀和さんとの交流も、その一つだ。

秀和さんは革細工や彫金で、アクセサリーや財布などを作るアーティスティックな趣味人でもある。数々のニコニコ湯グッズを手がけ、自店で販売して若者から人気だ。 

フットワークが軽く、自分のアンテナに従って、アクティブに動く。そんなこともあって、鈴木同士、不思議と馬が合う。 


「この店は単純に飲食だけじゃなくて、人が集まって面白いと思えるようなものを提供するということをやっていきたいので、そういう意味ではニコニコ湯の鈴木さんも近しいものを感じますね」

2人で銭湯グッズを作ったこともある。テレビ番組の取材がカフェに入ることになった時、「せっかくだから銭湯グッズを作ろう」と2人で相談し、千住の全銭湯8軒(当時)の店名入りの手ぬぐいを企画。短期間で見事に間に合わせ、番組で紹介されることに成功した。


秀和さんはさらに、エスディコーヒーの使用済みコーヒー豆で手ぬぐいを染めてアレンジ。ニコニコ湯で販売した。


銭湯への恩返し


銭湯は鈴木さんにとって、幼少時から馴染みが深い。生まれた浅草は銭湯が多く、父とよく行っていたという。実家がある静岡で18歳まで過ごした後、東京へ戻り、千住に移り住んだのは20年ほど前。土地鑑はなかったが、浅草に近く親しみがあり、銭湯も多いことも決め手となった。


「20年前の北千住は、駅前は再開発工事をやっていて、下はグチャグチャで歩くと靴に土が着くぐらい。今の北千住に住むのは大企業に勤めるようなブランド感があるけど、当時はこの先どうなるかわからないまさにベンチャー企業みたいな感じだった」。


現在住んでいるマンションに入居する前の半年間、風呂なしアパートに住んでいたが、その時にお世話になったのが秀和さんに代替わりする前の「ニコニコ湯」だ。

当時は渋谷でアナログレコードの輸入と卸しの仕事をしていた。90年代と言えば、まさにヒップホップ全盛期。多忙の日々で、北千住に帰ってくると午前0時を過ぎることもザラだった。


「ニコニコ湯はその頃は1時までやっていて、閉店時間を回っていても内緒で入れてくれたりしたんですよ。銭湯に入れないと本当に3日くらい風呂に入れなくなっちゃうわけで。鈴木さんのお父さんは僕の仕事が遅いのを知っていて、はっきりは言わないけど察してくれたんでしょうね」。

雨の日。ずぶ濡れになりながら駅の近くに自転車を止め、家に寄ってバスタオル持ってから行くと、やはり1時を回ってしまった。その時に入れてくれたことが、特に忘れられないという。

「そういう恩もあって、助けられたというか。真冬なんて特につらかったよね、寒かったし。当時は銭湯には今みたいに娯楽で行くんじゃなくて、生活の一部として行っていたんですよね」。千住に風呂なしアパートの多かった時代。わざわざ言わずとも、さりげなく助けてくれる。そんな銭湯店主のやさしさと心意気は、住む人々をどれほど支えてきただろう。

「感謝の気持ちがずっとあって、どこかのタイミングで恩返ししたいと思っていた。自分がつらかった時に助けてもらったことって、鮮明に覚えているじゃないですか。このお店のコンセプトを考えた時に、実家の『鈴木電機』の暖簾を引き継ぐだけじゃ面白くないから、そうだ『銭湯大好き』、銭湯をコンセプトにしよう、それで恩返しができると」。


実はこのエピソードを話すのは、初めてという。「テレビでそこまで言っちゃうとしんみりしちゃうしね」。大切な思い出だからこそ、選んで話してくれたのだろう。


先代の息子で現オーナーの秀和さんとは、その頃の縁ではなく、初めて会ったのはこのお店を始めてからとのこと。「大人になってこの店やって、鈴木さんと出会うわけですよ。ほんと、面白いなぁと。子どもを連れて、昔お世話になったな、と思ってニコニコ湯に行ったら、お父さんは亡くなっていて、鈴木(秀和)さんが居たのが出会いかな」。


薪で沸かすニコニコ湯に鈴木さんが浸かりに行き、秀和さんは釜場での作業後に「暑い暑い」と言いながらアイスコーヒーを買いに来る。そんないい関係が続いているのを、先代が見守っているのかもしれない。

エスディコーヒーのお客さんは、銭湯に行ったことのない若い層、特に10代後半の女性が多い。「そういう人たちが銭湯絵とかコンセプトを見て『銭湯って面白いね』と言ってくれることが多いんです。この間も、千住の○○湯に行ってきたよ、と報告してくれたりするんですよ」。そう話す鈴木さんは、嬉しくてたまらないといったように目を細める。


自家風呂がある今も、銭湯は生活にとって欠かせない存在だ。出張が多かった仕事が、コロナ禍によりほとんどオンラインになり、以前よりも銭湯に行く機会が増えた。「銭湯はフィジカルは休めて、頭は考える時間。アイデアが浮かぶと、脱衣場でボイスメモに記録するんですよ」。

3人の息子を連れて行くことも。まだ小学生の3男にとっては、ちょっとした勉強の場でもある。「銭湯は街の縮図みたいなもの。社会勉強、兼近所の雷親父に怒られるような、銭湯ってそういうところなのかな。全く知らない他人と交流する場であるわけだから、お互い暗黙の最低限のマナーがないと失礼になってしまうし、それを教えるのにわかりやすい、うってつけの場だった気がしますね」。

行きつけは、ニコニコ湯と梅の湯。同じようにお世話になった大黒湯(2021年6月廃業)のラストデーには、お別れと感謝の入浴に大学生の長男と行った。

大きくなってからは子どもに嫌がられそうなものだが、「ちっちゃい時から行ってるし、家族だったら一緒にご飯食べるじゃないですか。別に一緒に銭湯に行くのも同じですね。家のお風呂だったら18歳の息子と一緒に入ることはないけど」。大人になった子どもと裸の付き合いができる、銭湯は貴重な場と言える。


銭湯とは、もう一つ別の縁もある。梅の湯の長女・梅澤(旧姓)さんが、エスディコーヒーのスタッフとして働いているのだ。その縁もあって、梅の湯が暖簾を新調した時に譲り受けた古い暖簾は、カフェ店内で渋い味わいを見せている。


逆に、梅の湯にエスディコーヒーが出張したことも。開店前に、梅の湯前でカフェのドリンクメニューを販売するポップアップショップを開いたり、脱衣場で梅の湯グッズ展を開催。売り子は梅澤さんが担当、多くのお客さんが訪れた。

「縁で繋がっていくことを考えています。こちらから探しに行くとか無理に引っ張って来るとかじゃなくて、今ある中で深めていくということを大事にしていますね。個々のお店で繋がっているのも全て周りの縁だし。ニコニコ湯の鈴木さんも梅の湯の梅澤さんも。作っているグッズも、作ってもらっているところも、もともとお客さんだったり、紹介だったり、縁ですね」。


オリジナルの千住土産を


「エスディ(sd)」には「千住大好き」の意味もあるのでは――。店内で販売されているグッズを見ると、そんな風に思えてくる。

店名入りのものと一緒に並んでいるのは、数々の千住グッズ。ほとんどが、ここだけのオリジナルだ。


コロナ前、お店には全国から訪れるお客さんが多く、ある時、鈴木さんがキャリーバッグを持っていた女性客に聞いてみたところ、長崎から大阪経由で高速バスに乗って遊びに来たと答えが返ってきた。「皇居に行ってきて、この後はディズニーランドに行くって言うんですよ。あれ? 北千住って観光地なのかな、と思ったのがきっかけ」。


観光地ならお土産は必須。そこで、今はすっかり見なくなったがかつてのザ・観光地土産の大定番、ペナントの北千住版を制作した。面白いものを求め続ける鈴木さんと、千住の街の持つパワーの相性の良さが伝わる。

足立区内の全町名入りの湯呑みは、その本気度が伺える一品。他にも、銭湯を連想させるオリジナル牛乳瓶や、梅の湯の名入りグッズなど、オリジナルのお土産が並んでいる。北千住マルイに出店した時には、熱い話がいっぱいあったという。

「北千住に住んでいる人が単身赴任のお父さんへとか、逆に北千住から嫁に行った娘へとか、そういう北千住に住んでいた家族愛みたいなね」。亀有、松戸、柏など沿線に住んでいる人が、いつか北千住に住んでみたい、と買ってくれたりもした。

「千住は観光地の可能性を持っている。わざわざこの街に来る人を、どう取り込むかですね」。

面白がるだけでなく、長年ビジネスに関わってきた視点から、千住の街を分析する。


「足立区は観光資源がないないとみんな言うけど、打ち出してないだけ。僕は北千住は観光地だと言いきっているし、実際にグッズはこれだけ売れている。北千住のコミュニティの中からそういうものを盛り上げていければ」。


千住はスピード感があると、鈴木さんは言う。特に大学が出来て学生が増えてから、流れが速いのを肌で感じる。「カフェができたり、古着屋さんが増えたり。そのへんの街の変わり方が、20年前の下北の変わり方に似ていますね。下北より可能性があるのは路線がいっぱいあることですね。昔は上野が北の玄関口と言ったけど、今は北千住の方じゃないかな」。


作業場も商店街も


カフェの経営の合間に、雑誌取材や街歩き系のテレビ出演をこなし、企業アドバイザーの仕事に奔走する。加えて、店内のインテリア、特に電気を使うものは鈴木さんが全て手を入れている。そんなに忙しくて、目が回らないのだろうか。

「使う脳みそが全然違うんですよ。それがすごいリフレッシュになる」。

古い電灯はLEDに変え、博物館にしかないような扇風機も、ただの置物ではなくちゃんと動く。昭和40年代の白黒テレビは、ゲームが映るように改造してある。電気工事士の資格を持つ鈴木さんならではだが、それらの作業も「大変なこと」ではなく「楽しいこと」の一つだ。

近くに借りている作業場には、店にある量の何倍もの品物たちが、出番を待っている。そこに一人こもって、こうしたら、ああしたら、とひらめきのままに、自分好みのリメイクを施す。男の子が憧れるちょっとした城だ。


商店街の他の店との交流も欠かさない。

カフェのメニューの材料は、すぐ近くの八百屋・昇鈴から毎日仕入れている。築80年の外観は古めかしく、宿場町通りにしっくりくる。もともと八百屋だったところに、7年前に昇鈴が新たな店を開いた。

売り場の多比良正浩さんとのやりとりは、まるで幼馴染みのような気安さがある。取材時にそれを多比良さんに言うと、「いやいや、僕からしたら大先輩ですよ」と笑う。住まいは花畑だそうだが、鈴木さんが横から「田園調布だっけ?」と混ぜっ返すのに、「もう足立区って言っちゃったよ!」、「ああ、足立区の田園調布だったね」と漫才のような軽快なやり取りに発展した。


「いじめてんの。遊んでんの。いい関係です」と鈴木さんは軽やか。「昔からある下町のコミュニケーションだよね。言葉は荒いけど、それが挨拶だったりするよね」。カフェにいる時とは違った笑顔を見せる。


カフェの向かいにある「まつもとや」にも、よく顔を出す。

戦後からやっているというお店は、今では珍しい荒物屋。2軒分ありそうなほど広い間口に、箒、洗剤、トイレットペーパー、脚立など、生活に必要なありとあらゆるものが溢れんばかりに並んでいる。


鈴木さんにとって、店の備品をそろえるのに、なくてはならない存在だ。「みんな、千住のホームセンターって呼んでるね。なくなったら困る人はいっぱいいるんじゃないかな」。取材中も、高齢のご主人に相談しながらバケツを購入。「ご主人が何回かうちにコーヒーを買いに来てくれて、よく話もしますよ」。


まつもとやのご主人は取材は苦手なようで、撮影も「隣の公園の花を撮った方がいいよ。きれいだよ」とやんわり。お店が写らないショットだけ、許可をいただいた。店先に並べられている商品の多さに「毎日、これだけの商品を出し入れするのは大変でしょう?」と聞くと、「大変じゃないよ。慣れているから15分」とカクシャクとした答えが返ってきた。


土手で千住のオヤジたちと


食事に良く足を運ぶのが、沖縄料理の「一初」。「一緒に吉田類の『酒場放浪記』に出させてもらった縁だったりとかね。類さんがうちに来た後に一初に行っているんですよ」。小学校PTAの先輩がオーナーの「呑肴処 きたせん楓」もよく利用する。足立市場から直接仕入れる魚は安くて新鮮で、魚好きに知られている。


スポーツについて聞くと「ボクシングは10年以上続けていますよ」と返ってきて、驚くと同時に納得。フットワークの軽さは、ここから来ているのかも? コロナ前までは千住のボクシングジムに通っていたそうだ。


今のスポーツの場はもっぱら荒川土手。高校時代には野球をやっていて、取材の日も千寿本町小学校のPTAソフトボールに、5時起きで参加してきたという。本町小だけでなく、千住にある小学校のお父さんたちが集まる。「千住のおやじ共ですよ。もともとやっちゃば(足立市場)の人たちが、仕事が終わって朝8時ぐらいからやっていたのに合流するようになって。年に4~5回かな。コロナ前だと酔っぱらってそのまま寝ないで赤い顔で来る人とかいて、面白かった」。奔放で自由な空気が、いかにも千住といったエピソードだ。


「土手が好きですね。花火やったり野球やったり。土手は23区の中でもあまりないので、いいですね」。最近、天体観測が趣味に加わった。遠出もするが、荒川土手で眺めることもある。「暗い方が星は良く見えるので、土手はいいですね。近いし、贅沢ですよ。土手も観光資源だと思うんですよね。金八先生があるわけじゃないですか。桜堤中だってあるわけだし」。


街の変化を楽しむ


北千住駅がターミナル駅であることから、鉄道の利便性が語られることが多いが、鈴木さんは道路も外せないという。「首都高が近くて、橋を渡ったら千住新橋。東北道とか常磐道へのアクセスがすごく良くて、そっち方面に良く行きますね。この間は奥日光まで行ってきたんですが、千住から2時間ぐらいで行くんですよ」。

世田谷など西側から東北方面に行くには、首都高で都心を横切る必要がある。都内から脱出するのに渋滞のストレスがほぼないのは、魅力だ。コロナ禍で車で移動する人が多い今、この利点は大きい。「筑波山にもこの間行ってきました。渋滞無しで行けますからね。すごい便利ですね。逆に静岡、神奈川方面は行きにくいですけど」。羽田空港はリムジンバスで30分、成田空港も車で1時間強。そんな強みも実感している。


ビジネス畑で手腕を磨いてきた鈴木さんならではの、こんな表現で千住を評する。「例えるなら、僕の感覚だとベンチャー企業なんですよね。今から千住に住もうという人は、千住ブランドみたいなものを感じている人がいるんじゃないかな。住んでいる人はそんなこと思っていないけど。土地の価格も賃貸の価格の上がり方を観てもそうだし。都内の人気の町と家賃相場は変わらないじゃないですか、ブランド化しちゃっているんじゃないですかね」。まだまだ変化するエネルギーと可能性を秘めていること自体が、ブランド力なのかもしれない。


「僕は千住は、暮らしやすい、という言い方をしたいな」。


Amazonで長年、ハードな仕事を手がけ、他の多くの街を見てきたからこそ言える。「都市部、地方の出張も多かったし、日本中行きました。そこで改めて、千住のギュッと凝縮した良さを再認識しましたね。千住はなんでもあるじゃないですか。あとは映画館ぐらいですよね」。


「全ての人におススメするかというとそうじゃないんですよね。整備されたベッドタウンではなく、混沌としている。発展していくところを楽しめる感覚があるならお勧めできる」。街そのものが鈴木さんにとって、変化を楽しむおもちゃ箱なのかもしれない。カフェも営業しながら、インテリアの配置変えや入れ替えで、常に作っていく。壊れていくものを惜しむだけではなく、その時の感性に合うものに変え、常に新鮮な風を呼び込む。確かに千住の街に共通するかもしれない。


「これだけ人が住んでいる場所がこれだけ変わっていくっていうのは、そうそうないと思うんですよね。ちょっとヨーロッパの都市に似ているんですよ」。建物が石造りのヨーロッパは、元の建物を活かして街並みを変化させていくリニューアルが上手い。江戸の宿場町だった千住に、その才能があるとしたら、さらに魅力的な街になっていくだろう。

「面白い、とか、馬鹿じゃない? 変じゃない?は誉め言葉ですね」。そんな風に、型にはめず、常に自在に変化を楽しむ。鈴木さんのスタイルは、千住という街の一部として生き生きと根を張っている。


※撮影時のみマスクをはずしていただいています




取材:2021年8月21日、9月10日

写真:伊澤直久

文 :市川和美


 

文中に登場したお店など



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