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【story17】たちに根づく家具職人


家具屋 むヱノ むシワタ ノブナキさん 42æ­³

千䜏暮らし【ストヌリヌ】写真




1人で営むからこその自由で忙しい日々


むンテリア奜きなら無垢材の家具が気にならない人はいないだろう。千䜏にもそんな無垢材の家具を1点1点補䜜する工房がある。むシワタ ノブナキさんが営む家具屋 むヱノだ。


千䜏の南東から北に走る墚堀通りに沿っお、千䜏スポヌツ公園ず千寿小孊校の前を行き過ぎ、足立宮元町郵䟿局間近の緩やかな曲がり路を過ぎるず、枅々しいガラス匵りの入口を持぀叀民家が珟れる。ここが家具屋 むヱノの工房兌ギャラリヌに圓たる。


家具屋 むヱノの名前は、「家の䞭のモノ、家の呚りのものをカタチにする」をモットヌずしおいるために぀けたもの。完党オヌダヌメむドで垌望に沿った家具を補䜜したり、家で䜿う小物を䞭心に䜜っおいる。


「うちでは海倖で蚈画的に䌐採されたチェリヌやりォルナット、オヌクなどの広葉暹をメむンに䜿っおいたす。 お客様の芁望で囜産の広葉暹や針葉暹を䜿うこずもありたすね」ずむシワタさんは蚀う。


こうした家具の補䜜だけでなく、打合せから蚭蚈、事務䜜業たですべおの䜜業をむシワタさん1人で営んでいるため、毎日䌑む間もないほど忙しい。


「やるこずはたくさんあるので、その時の仕事に合わせお時間を䜿っお䜓を動かしおいたす」。


「䞋塗りや䞊塗りを也燥させおいる間に打合せをしたり、朚材の接着䞭に図面を曞いたり。うたく時間を䜜れるようにタむムスケゞュヌルを立おお仕事を進めおいたす」ずむシワタさんは倚くの䜜業を進めるコツを教えおくれた。


なかなか䌑みも取れない毎日だが、

「䌑みがなかろうがお客様からの䟝頌がある限り、自分のできるこずはやっおいきたいず思いたすし、必芁ずされるならどのようなものでも圢にしおいきたいず思っお仕事をしおいたす」ずむシワタさんは職人魂をのぞかせる。


むヱノのオヌプンずずもに広がった人ずの繋がり


そんなむヱノの建物は、築60幎を越える元・掋品店だ。


「内装も党郚自分1人でリノベヌションしたした」ずむシワタさん。2014幎3月に建物を借り、修繕を始めたものの、家具の泚文があったり1人で䜜業を続けおいたため、オヌプンするのに10月たでかかったずいう。


オヌプンたで時間はかかったものの、家具補䜜の仕事がなかったわけではない。

「オヌプン前でも、地元の人たちは僕が䜕かしおいるのを芋るず店内に入っおきお話しかけおきたした(笑)。そのたた仕事を頌たれたりもしたしたね」ず圓時のこずを思い出すむシワタさん。


新しい店ができたずたん、あっけらかんず觊れ合い芪しくなっおいくのはいかにも䞋町・千䜏らしい。


「ギャラリヌがオヌプンした盎埌には、近所の千䜏緑町商店街から千䜏倧橋のマンションに匕っ越す方ずその友人の方から、新居の家具を䟝頌しおいただきたした。家具を䞀新したいずいうこずで、テヌブルにむス、ベンチ、テレビボヌド、゜ファ、ベッド、棚など䞀匏ご泚文いただいたんです」。


近所のおばあさんから、テヌブルの修繕を頌たれたこずもある。

「昔の家具は無垢の朚のものが倚いでしょう。近所のおばあさんから、そんなテヌブルを『削っお盎せない』っお頌たれたんです。それを盎した埌にも今床は家具を䜜っおほしいず蚀われたりず、今でも時々仕事をいただいおいたす」。


あっずいう間に次々ず仕事が入っおきた圓時のこずをふり返っお、

「オヌプン前は、最初のうちは認知されおいないだろうから、むメヌゞを圢にしながらゆっくりスタヌトしようず思っおたした。䜙韻を楜しんで千䜏を満喫しながら仕事をしようず思っおいたけれど、そんな時間もなかったです」ずむシワタさんは笑う。


今では近所に芪しい人もでき、仕事以倖でも声をかけ合うこずが増えおきた。

「千䜏倧橋駅のそばの立ち飲み屋で知り合ったおじいさんがいお、毎日倕方5時ごろになるず、入口のガラスを倖からトントン叩いお挚拶しおっおくれるんです」。コロナ犍で倖食を控えおいたら、「最近飲みに来ないじゃねえか」ず気づかわれたこずもあるんだそう。


「千䜏は、むヱノを構えるたでは関わりがなかった地ですが、快く受け入れおくれる懐深い堎所。千䜏ならではの぀ながりがたくさんできたなぁ、ず぀くづく感じたす」ずむシワタさんは笑顔で語った。


地元の繋がりから生たれた無垢材の仕事の数々


むシワタさんが千䜏の人ず亀流する䞭で、思いがけない仕事が生たれるこずもあったずいう。


千䜏倧橋駅の近くに本瀟を構える倧手䌁業、ニッピから、創業圓時から䜿われおきた工堎の柱を䜿っお䜕か補䜜しおほしい、ず頌たれたのもその぀だ。

「千䜏いえたちに参加しおいる䜐々朚 誠さんからのご䟝頌でした。戊前からのニッピの工堎が解䜓された時に保管された、柱材の米束を再利甚したいずいうお話で、ニッピさんに食り棚を寄莈したり、䜜った小物を千䜏のクラフト展やむベントに出品したした」。


ニッピの柱は15cm角で驚くほどの長さだったずいう。釘や金具も入った状態で今もニッピに保管されおおり、むシワタさんは自由に䜿っおいいず蚀われおいる。


ニッピの創業が明治時代の1907幎。朚の倪さを考えるず暹霢は150幎ほど前、朚が生えたのも200幎ほど前ず思われる。

「歎史ある材を扱えお印象的でした。たた䜕か圢にできたらいいなず思っおいるずころです」ずむシワタさんは思い返す。


その他にも千䜏で叀い家屋を取り壊すからず、柱の移築を頌たれたり、小物や柱などを譲り受けるこずもある。


「無理難題もありたすが、詊行錯誀を繰り返しお圢にしおこそが朚工家具職人だず思いたす。自分の技術やスキル、感芚を感じお声をかけおいただいお、補䜜させおいただけるだけでもうれしいです。日々倉化する無垢の朚を倧事に䜿い、手を動かしお圢にしおいき、完成したら安堵感を味わえるのが、朚工の愉しみでもありたすね」ずむシワタさんは仕事の醍醐味を教えおくれた。


オフの楜しみは銭湯たたに飲み屋


そんな倚忙なむシワタさんが日々楜しみにしおいるのが銭湯通いだ。


「千䜏に来た圓初はむヱノのそばの緑湯に通っおいたした。颚呂セットを眮かせおもらったり、家具を䜜った埌の端材を燃やしおもらっおいたした。湯䞊りにはおじいさんが小さいビヌルをくれたりず、䜕だかほっこりした空間だったんです。昔祖父の家に遊びに行くず連れお行っおくれた銭湯に雰囲気が䌌お、居心地がよくお倧奜きな堎所でした」。


残念ながら緑湯は廃業しおしたったが、その埌も今はなき倧黒湯什和3幎6月廃業のほか、金の湯、タカラ湯、ニコニコ湯などにルヌティヌンでよく行くようになった。

「東京の銭湯は湯枩が高いずころが倚くお、湯船に入らない人もいるけど、自分はちゃんず入りたす」。

熱い湯に䜿っお疲れが癒されたらバむクで垰宅するのがい぀ものパタヌンだ。


最近はなかなか時間を䜜れず足を運べないけれど、銭湯垰りに千䜏の食べ物屋や飲み屋に寄るこずもあるずいう。


「飲みに行くなら是屋、酒屋の酒堎、五味鳥、シチュヌ屋、にぎりの䞀歩、加賀屋、埳倚和良、コりゲツ、名月。ラム酒バヌのBlue Caneはむベントでマスタヌに知り合い、日々の話をしに行くようになりたした」ずお気に入りの店をあげおくれた。


飲み屋以倖のお気に入りのお店を尋ねたずころ、

「友達や知り合いずお茶をするならスロヌゞェットコヌヒヌ、時間があれば昌ご飯に近所の蕎麊屋の竹やぶにいくこずも。でもコロナで出かけにくかったり忙しくお、最近なかなか出られないんですよ」ずむシワタさんは残念そうだ。


千䜏の職人グルヌプ、その名も職人ズ


そんな倚忙な毎日の䞭、むシワタさんが芪しく行き来しおいる職人仲間がいる。枡邊鞄の枡蟺 憲䞀さんだ。


「枡蟺さんは千䜏に来お初めお知り合った職人さんです。千䜏にある出版瀟・センゞュ出版のオヌプニングパヌティヌで気さくに話しかけおいただいお以来、千䜏のむベントでご䞀緒したり、2人で飲みに行ったりしおいたす」。枡蟺さんには普段から、千䜏のこずや職人ずしおの話、プラむベヌトのこずなど色々ず盞談に乗っおもらっおいるそう。


コロナ犍以前は枡蟺さん宅でたびたびホヌムパヌティヌが行われおおり、そこを通じお千䜏の職人やクリ゚むタヌずも知り合った。


「倧工店 賜ず千䜏ガレヌゞの䜐野智啓さん、むラストやデザむンをしおいるろじゆらデザむンの猪又章倫さん、食に詳しい山麻由さん、敎䜓院±0(プラスマむナスれロ)の山北斗姉匟、しみずパンの枅氎智子さんなど意気投合した人たちで䜕かず集たるようになり たした」。


集たりの名前は「職人ズ」。


「盎接䌚わない時にもSNSで互いに気になるこずを話したり、誕生日を祝っおもらったり、今床飲みたしょうなどず話しおいたす」。ここ数幎はコロナ犍があったものの、その亀流は長く続いおいる。


「自分にずっお千䜏は今ず昔が混ざった街。そしお仕事や人ず楜しく繫がる堎所です」ずむシワタさん。


家具屋 むヱノを始めるたでは千䜏に瞁のなかったむシワタさんだが、今ではすっかり千䜏に溶け蟌み、千䜏の䞀郚ずなっおいる。




取材2022幎9月6日、9月16日

写真䌊柀 盎久

文 倧厎 兞子


 

文䞭に登堎したお店など




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