センジュ出版 代表 吉満明子さん(46歳)
暮らしと仕事を溶けこませて
ハーブの優しい香りが漂う室内には、アンティークやハンドメイドの家具、ドライフラワー、魚たちが暮らす水槽と大小の観葉植物、そしてたくさんの本が置かれている。ここは千住を代表する出版社・センジュ出版の応接室兼ミーティングルームであり、センジュ出版代表の吉満明子さんの自宅だ。
「つい最近、今まで使っていた事務所スペースをコンパクトにして、自宅スペースも仕事場として使うようになったんです」と吉満さん。
千住3丁目の事務所内で営業してきたブックカフェ・Book Café SENJU PLACEもいったん閉め、そこそこに置いていた古い本棚も自宅に運んできた。もともと自宅にはアンティークなどの味のある家具が多かったので、本棚が増えてもしっくりとなじんで落ち着いたという。
「最近は、仕事も打ち合わせもここです。自宅リビングも兼用しているから、大人たちが仕事をしているそばで、小学3年生の息子が遊んだりゲームしている時もあるんですよ」と吉満さんは笑う。
センジュ出版は、吉満さんが震災と出産をきっかけに「家族のそばで働きたい」「町にもっと関わりたい」と考え、会社員をやめて立ち上げた出版社だ。育休中に赤ちゃんを抱っこしたまま、千住の町を歩き回るうちに、千住とそこに住む人々に目を向けるようになった。
センジュ出版の設立以来、NHKドラマをノベライズした『千住クレイジーボーイズ』、福岡の名物先生による『子どもたちの光るこえ』などの書籍の出版・編集、文章講座や読書会、「千住紙ものフェス」などのイベントの企画・開催など、千住内外を刺激する多彩な活動を行ってきた。
それが再び変化を見せ始めたのは昨年だ。
「コロナ禍のこともあり、スタッフとともに、センジュ出版では何を大切にして何を手放すべきかを考え直しました。創業時、この会社に思い描いていたことなどを言語化し、そこから、暮らしと仕事をより近づけることを選んだんです」と吉満さんはすっきりとした表情で話してくれた。
オンラインを生かし対話を続ける
「センジュ出版を6年間続けやってきて大切にしていたのは『対話』です」と語る吉満さん。
人と直接会う機会が減ったコロナ禍でも、オンラインを活用することで対話を続けることができる。そのため、対面で毎月行われてきた文章講座や読書会も、オンライン化して継続されることになった。
今では文章講座は通常版の他、オーダーメイド版、経営者版も行われるようになり、読書会とともにセンジュ出版を代表するサービスの1つとなりつつある。
オンラインの仕事が増える中で、吉満さんが気づいたのが、「オンラインでは五感が伝わらないこと」だった。
「暮らしと仕事を近づける」ためにできることの1つとして、吉満さんは心と体の症状に合わせた精油を調合し健康アドバイスも行う資格「メディカルアロマインストラクター」も取得した。もともとハーブティーやドライフラワーが好きだったので、出版業務とともに、オンラインでは伝わらない五感を共有し深めていくサポートをしよう、と考えたのだ。
「今はハーブティーやアロマスプレーを販売していますが、アロマキャンドルなども商品化したいと思っています」と吉満さん。
その思いを象徴するように、部屋のあちこちには美しいドライフラワーが飾られて、ここを訪れる人たちにはしばしばハーブティーがおすそ分けされている。
千住の花屋で受け取る草花の息吹
吉満さんが仕事場を兼ねた自宅に飾っているドライフラワーは、どれも千住のフラワーショップ「デコラ」のものだ。
デコラは吉満さんが会社員だった頃からのなじみの店だ。今でも多い時は週に2回ほど、少なくても月に1回は必ず足を運ぶという。
「息子が赤ちゃんだった頃も、抱っこヒモで息子を抱っこしたまま通っていましたね。その頃立ち上げていたウェブメディアで取材させていただいたこともあります」
店の中には、鮮やかながら落ち着いた色合いの花が数多く揃う。
「花屋さんはいくつかあるけれど、ここが不思議と一番落ち着くんですよ」
と吉満さんが言うと、
「うちが揃える色合いの好みが合っているんだと思いますよ」
とお店のスタッフの方。
ふと目に入ったクリスマスリースをスタッフに見せてもらいながら、
「かわいいねー、この枝が出てるところがいいねー」
「誰が作ったの? (店長だと聞いて)さすが!」
など、花を見ている間も声をかけるところが吉満さんらしい。
この日買った花は、帰宅後にさっそくベランダの園芸スペースに植え替えられた。
水をやりながら鉢の状態を確認する。吉満さんの五感を深めてくれる存在がこうしてまたプラスされた。
器も日々の五感を刺激するひとつ
千住の商店街は大きく、飲食店や八百屋、スーパー、雑貨店など多彩な店が軒を連ねる。
その中でも吉満さんが大きな影響を受けたのが、宿場町通り商店街にある「うつわ 萬器」オーナーの久保田真弓さんだ。
「久保田さんには、センジュ出版の立ち上げを構想していた頃に、たまたまお店でお会いしたんです。これから会社を立ち上げるとお話ししたら、励ましていただきました」
と吉満さんは当時を思い出す。
「そうだったの! 若い女性ががんばっているのを見ると応援したくなるんです」と久保田さん。
「あの頃は、千住で出版社のような文化的なものが受け入れられるはずがない、ってまわりの人から言われました。でもその時、久保田さんに『暮らしがあれば文化的なものも求められる』って言っていただけて。背中を押されました」
と言う吉満さんに、
「そう、私も萬器を立ち上げる前に千住はやめた方がいいって言われていたんです。でもこの町はあなどれない。出店してみたら、沿線の強さで色んな方に来ていただけるようになった。最初から駄目なことなんてないんです」
と久保田さんも応える。
久保田さんに出会うきっかけとなった萬器の器は、吉満さん宅でも数多く使われている。「肌触りがよくて、重さもほどよい素敵な器ばかりなので。五感を働かせて食事ができる幸せをいつも感じてます」と吉満さん。
「萬器のお皿を普段使いするうちに、息子も、最近は食事中に『この器いいね、かっこいいね』って言ってくれるようになったんです」。吉満さんの話に、久保田さんも嬉しそうに耳を傾けている。
撮影中でも会話が絶えず、
「ゆっくりお話ししたいですね」
「本当にー!」
と言い合うお二人。
出版と器というジャンルは違うものの、千住の地で業務を立ち上げ、働き続けてきた女性たちならではの絆が結ばれているのだろう。
買い物と食事は千住で選り抜きの店へ
萬器からほど近い千住3丁目は、センジュ出版の事務所があるエリアだ。商店街と住宅が広がるこの町で、吉満さんが週2~3回は訪れている店が「魚屋ツキアタリミギ」だ。
かつて昼は魚屋、夜は和食店だった「魚屋ツキアタリミギ」だが、コロナ禍をきっかけに業態を変えて現在は野菜から肉、お惣菜、弁当まで扱うミニスーパーとなっている。限られた売り場にはお買い得品がぎっしりと置かれており、今では近隣の住民がよく足を運ぶ人気店となった。
「新鮮でおいしくてボリュームもあって、ここのお弁当を買っていくと会社のスタッフが喜ぶんです」と吉満さん。「好きな味付けのお惣菜も色々あって、食べごたえがありますよ」。
そのため仕事帰り、夕食や朝食の材料を買う時にも、自然と魚屋ツキアタリミギに足が向くと言う。
魚屋ツキアタリミギ以外にも、吉満さんがよく行く店は多い。
「息子が保育園に通っていた頃は、北千住駅から少し離れた千住大門商店街のスーパー『ヤオシチ』にもよく行っていました。社長が目利きで、鮮度のいい魚や質のいい食材などが買えるんです。お向かいの惣菜店『鳥ふじ』でも、息子の好物のつくねをよく買います。どちらの店も、今でも行きますよ」。
その他にも、パンなら寿町にある「イチカベーカリー」、ハンバーガーならハンバーガー専門店の「サニーダイナー」、仕事の会食には歴史ある日本家屋が印象深い「和食 板垣」に行き、週末にはおいしいコーヒーを飲みに自転車で自家焙煎の「スロージェットコーヒー」を訪れる。
「飲食店だけでもたくさんあるのが千住のいいところ。私が千住で暮らし始めた理由の1つが、この賑わいに惹かれたからでした。それに千住なら、著者の好みに合わせてお店を選べておもてなしができる。お連れすると『この店に来てみたかった!』『おいしかった!』と喜んでいただくことも多いです」
と吉満さん。
ここにはとても書ききれないほど数多くの、千住じゅうのおいしい店を、バイタリティたっぷりに使いこなしている。
神社の大木に会いに行く日も
千住は寺社が多い町でもある。
1100年近い昔に稲荷神社として始まった「千住神社」を始め、お閻魔様の縁日で有名なレンガ造りの「勝専寺」、名工・伊豆長八による白狐の彫刻がある「橋戸稲荷神社」、足立市場内にありやっちゃばの旦那衆に愛されてきた「河原町稲荷神社」など、多彩な寺社がそれぞれの町の暮らしに寄り添っている。
そのうち吉満さんが最もよく訪れているのは、千住3丁目にある「千住本氷川神社」だ。
「センジュ出版で本を出す前にはここにお参りしますし、初詣にも家族で訪れます。息子の七五三の時も、ここにご挨拶に来ました」。
吉満さんがこの神社に足しげく通う理由は、センジュ出版の事務所から最も近いこともあるが、境内にすっくと立つ杉の木にも惹かれているからだ。
「この杉は、千住3丁目界隈でも周囲を見渡す高さのある木。なでたり見上げたりするだけで落ち着きます」。
日ごろ花束やドライフラワー、ベランダ園芸などの植物から元気をもらっている吉満さんだが、木も心のよりどころの1つなのだろう。
そんな吉満さんに「千住への思い」を尋ねると、
「千住は私にとって働き暮らす場所。つまり一日のすべて。センジュ出版も、そんな千住の地名を預かりながら、広がる場にしていきたいと思っています」
と話してくれた。
社会や家庭の状況が変わっても、吉満さんと千住やセンジュ出版を取り巻く人々、千住の地との関わりは途絶えることがない。対面し時にはオンラインで対話を続けながら、吉満さんの暮らしと仕事は千住の町で躍動し続けている。
取材:2021年11月5日、11月12日
写真:武居 厚志
文 :大崎典子
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